生物の研究には適切な材料の選択が大事である。
分子生物学の基礎に貢献した大腸菌、遺伝子のはたらきではショウジョウバエ、
細胞系譜を見せてくれるセンチュウ、などなど。
ミジンコは何を教えてくれるのだろう。

水中の酸素濃度が下がると、体液中のヘモグロビンの発現が上昇して赤くなる。 実験に使っているオオミジンコのメス。背中の育房(いくぽう)に単為生殖卵を産み、育てる。親の脱皮とともに子供は外に泳ぎ出る。 脚ができ始める時期のミジンコ(腹側)。2~4番目の脚にはUlbx/abd-Aタンパク質があるが、1番目と5番目の脚にはないことがわかる。将来、口になる部分の付け根にも存在するが、はたらきは不明。雄と雌の形の違いを決めているかもしれない。 電子顕微鏡で観た脚の形。2~4番目は、毛が生えて「エラ」のような脚になる。1番目と5番目の脚は毛も生えず、発生が進むとまったく異なった形になる。 (写真=志賀靖弘)

ミジンコは、体長わずか数mm程度で、一生を通じて体が透明な動物プランクトン。世界中の湖や沼にすむが、実験室でも扱いやすく、昔から生物学のよい実験材料だった。たとえば、ミジンコは体が透明なので体内での変化が容易に観察できる。また、次の子供を生むのに約1週間しかかからない。通常は単為生殖なので、遺伝的に均一な個体(純系)が扱える。このような特徴は、分子生物学や分子発生生物学などの研究を進めるのに大変便利である。

またミジンコは、水質の変化に敏感であるため、水環境の状態を評価するための環境指標生物として注目されている。たとえば、ミジンコは水中の酸素量が低下するとヘモグロビンの発現を誘導し、透明だった体が赤くなることが知られている。私たちの研究室の時下進一氏らは、ミジンコのヘモグロビン遺伝子をクローニングして、水質の変化によって発現が調節される仕組みを明らかにしようとしている。この仕組みがわかれば、環境の研究にも役立つだろう。ここでは、こうした環境学にも分子生物学にもつながる研究も進められている。一方、大学院時代にショウジョウバエの分子生物学を専攻した私は、ミジンコの利点を生かして、動物の形態進化の研究を進めている。

ミジンコが属する甲殻類は、昆虫類と同じ節足動物の1グループだが、体節の数や、脚や触角の数、形などが種によって異なり、多様な形態の生物からなる。そのため、これらの形の多様性がどのように進化の過程で生じたのか、またそれに対して形づくりの遺伝子の分子進化がどのように関与してきたかは、非常に興味深い問題である。本誌13号にも掲載されたが、ミジンコと同じ甲殻類に属するエビ類を用いた最近の研究から、昆虫類と甲殻類では、主要な形づくり遺伝子のセットが進化上保存されていることがわかった。つまり、これらの遺伝子のあるなしでは、形の多様性を説明することができない。では、「形づくり遺伝子の発現パターンが進化の過程で変化して、形の変化が生じたのではないか?甲殻類の形の多様性も同じように生じたのではないか?」と考えてみてはどうだろう。この仮定の真偽を明らかにするには、甲殻類の様々な種において、これら形づくり遺伝子の発現領域を明らかにすることが重要である。

そこで私たちはミジンコの形づくり遺伝子の中でも、とくにホメオティック遺伝子と呼ばれる形づくりの遺伝子に注目して研究することにした。幸いなことに、現在までにショウジョウバエのScrUbxabd-Aのミジンコにおける相同遺伝子と考えられるものを見つけ、脚ができるときにそのタンパク質がどこではたらいいるかを追跡した。たとえば、ミジンコのUbx/abd-Aタンパク質は、2番目と3番目の脚で強く、4番目の脚ではそれよりはやや弱く発現していたが、1番目と5番目の脚ではまったく発現していなかった。では、5対の脚の形の違いはどうだろうか。走査電子顕微鏡で見ると、ミジンコの3番目、4番目の脚はほとんど同じ形、また2番目の脚もかなりよく似た形である。しかし、1番目と5番目の脚はまったく異なった形なのである。この結果から、Ubx/abd-Aタンパク質が発現しているか、いないかが、ミジンコの脚の形を変化させているのではないかと考えられる。また、すべての脚でUbx/abd-Aが発現しているブラインシュリンプというエビの仲間では、すべての脚が同じ形であることがわかっている。

このような結果から、私はホメオティック遺伝子の発現パターンの変化が、甲殻類の(少なくとも)脚の形の変化を引き起こしてきたのではないかと考えている。現在はそれら脚の形づくりをさらに詳細に解析するため、その他のホメオティック遺伝子の発現パターンの同定およびホメオティック遺伝子以外の形づくり遺伝子に関する解析を行なっている。

そして次のステップとして、実際に遺伝子の発現パターンを人工的に変化させて、何が形態の違いの元になっているかを調べなければならない。そのためには、人工的に遺伝子を導入したり、壊したりする必要がある。こういった実験技術は、ショウジョウバエでは非常に進んでいるが、甲殻類ではミジンコも含め、ほとんど確立されていない。だが、形態の多様性を本格的に研究するためにはどうしても必要な技術であり、私たちはミジンコの様々な利点を生かして、実現させたいと考えている。とくに、遺伝子導入の技術については、レトロトランスポゾン(動く遺伝子の一種)の研究をきっかけに、糸口をつかめそうな感触をもっている。ミジンコを使って果たしてどのようなことが可能になるか。どこまでできるか不安になることもあるけれど、未知の可能性にかけてみたい。

(しが・やすひろ/東京薬科大学生命科学部環境生命科学科助手)

*文中のScrAntpUbxabd-Aは遺伝子の略称。
ScrSex combs reduved, AntpAntennapediaUbxUltrabitboraxabd-Aabdominal-A