1. トップ
  2. 季刊「生命誌」
  3. 季刊「生命誌」22号
  4. BRH Scope ショウジョウバエを使うわけ

BRH Scope

ショウジョウバエを使うわけ

加藤和人

今回の生命誌では,ショウジョウバエを使った研究がたくさん登場しています。なぜ,ショウジョウバエが盛んに使われるのでしょうか。 新しくできたページ「BRH Scope」では,個々の研究を伝えるときにはあまり語られない研究の背景や分野全体の状況を紹介していきます。


ショウジョウバエ(註)。赤い目で体長は2~3ミリの,これといって魅力のない小さなハエが,世界中の研究者に使われている。生命現象の仕組みを探る研究は,今やショウジョウバエを抜きにして考えることはできない。

たかがハエごときがどうしてそんなに大切なのか,と専門外の人には言われそうだが,ショウジョウバエが盛んに使われるのには,それなりの理由がある。ショウジョウバエの世界を少しでも知ってもらうために,その一部を紹介しよう。

まず第一に,ショウジョウバエは実験生物として優れた点をいくつももっている。飼育が容易で,一世代にかかる時間が2週間と短いため,交配実験に使い易い。染色体が4対(性染色体1対,常染色体3対)しかないことも,遺伝学の研究材料として用いるのに便利な点だ。

今世紀の初め,こうしたショウジョウバエの利点に注目したモーガンたちは,自ら発見した多数の突然変異を使った実験により,遺伝学の基礎を築いた。当時,遺伝子の実体については何もわかっていなかったが,モーガンたちは,ショウジョウバエを使った交配実験をもとに、遺伝子が染色体の上に順に並んでいるという考え方を打ち出している(この業績で,モーガンは1933年のノーベル賞を受賞)。それがやがて分子生物学の発展につながっていくのである(たとえば,分子生物学の基礎を築いたデリュブルックは,モーガンを慕ってドイツからアメリカに渡っている)。

生物学の研究を支える ショウジョウバエ

①②国立遺伝学研究所は,国内におけるショウジョウバエの系統保存のためのセンターの一つ。約1000の変異系統が維持されている。(写真=大西成明)

ショウジョウバエの遺伝学は,モーガンを創始者として,その後ほぼ1世紀の間に,多数の突然変異が集められ,実験上の技術も次々に改良されていった。唾腺染色体を使って遺伝子の染色体上の位置を調べる技術や,個体に人工的に遺伝子を導入する技術も確立されている。突然変異の系統は,今でも世界の数ヵ所でしっかりと保存されており,研究者の必要に応じていつでも利用することができる。

このように,実験生物としての長い歴史をもつことが,ショウジョウバエが重宝される大きな理由の第一である。だが,この小さな昆虫が,現代の生物学においてこれほどまでに重要な役割を果たすようになったのには,もう一つの大きな理由がある。

それは80年代前半になされた一つの発見が始まりだった。本誌12号でも紹介したが,ショウジョウバエの頭・胸・腹という体節構造をつくるのに必要な一群の遺伝子に,共通の短いDNA配列が見つかった。ホメオボックスと名付けられたこの配列は,その後すぐにヒトを含めた脊椎動物にも見つかった。昆虫と脊椎動物という,進化の上で遠い関係にある生物の間で,共通の体づくりの仕組みがあることが明らかになり,世界中の研究者が驚いたのだった。

それから約15年。ホメオボックス遺伝子以外にも,種の違いを超えた共通の仕組みが次々と見つかっている。目(本誌12号)や付属肢(本号特集)の形成,細胞内の情報処理(シグナル伝達という)などでも,ショウジョウバエで明らかになった遺伝子レベルの仕組みが,他の生物に当てはまるという例が見つかった。最近では,生物が時間を測る仕組みが,ショウジョウバエと脊椎動物で同じだということがわかっている。生物は一見多様に見えるけれども,結局のところ,それをつくり働かせる仕組みは,共通の祖先がもっていた限られた数のレパートリーをやりくりしてできたものらしいのだ。

こうしたことを踏まえて,ショウジョウバエを使う研究者たちは,現在,二つのことを考えている。一つは,ショウジョウバエを,他の生物の理解のための「モデル生物」と考え,徹底的に調べてやろうというものだ。ゲノムプロジェクトの情報も利用し,遺伝子から個体までのあらゆるレベルでこの生物を理解しよう。そうすれば,そこでわかった原理は,ヒトを含む他の生物にも必ず当てはまるに違いないというわけだ。一例として,脳や神経に興味をもつ研究者たちは,脊椎動物よりも簡単な構造をもつショウジョウバエの脳神経系を調べることで,ヒトを含む多くの生物に普遍的な原理が見つかるのではないかと考えている。

ショウジョウバエはしかし,地球上に何千万種といる生物のうちの一種にすぎない。バラエティー豊かな生物は進化の過程でどのように生まれたのか。その謎に迫るために,ショウジョウバエでわかったことを基礎にして,多様な生物を調べようというのが,もう一つの方向だ。チョウとハエの翅はなぜあんなふうに違うのか。さまざまな形をした昆虫の体はどのようにできるのか。普遍的原理をもとに多様性に注目する研究にも,ショウジョウバエは重要な役割を果たそうとしている。

もちろん,生物学のすべての研究にショウジョウバエが必要だということはない。だが,実験生物としての長い歴史をもち,生物理解のモデル生物として有用なショウジョウバエは,やはり,現代の生物学で最も重要な生物の一つなのである。

(註)正確にはキイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)。世界に900種以上いるショウジョウバエ属のうちの一種だが,略してショウジョウバエと呼ぶことも多い。

ショウジョウバエ研究者の系譜

モーガンを創始者とするショウジョウバエ研究者のつながりを示した図。右端から世界中の現役ショウジョウバエ研究者につながっていく。Current Biology, vol.6, p101(1996)の図を簡略化したもの。

(加藤和人/本誌) 

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

季刊「生命誌」をもっとみる

オンライン開催 催しのご案内

その他

4/5(金)まで

桜の通り抜け(JT医薬総合研究所 桜並木) 3/26〜4/5