季刊誌「生命誌」通巻22号

Talk

教養の中の科学

筒井清忠 京都大学文学部教授
岡田節人 JT生命誌研究館館長

教養という言葉が制度の中に閉じ込められて,元気のない今。
教養を研究のテーマとする筒井さんと,名代の教養人の岡田館長が,その復権を語り合います。さて,科学は教養に含まれるのでしょうか。


茶道は,自然を楽しむ文化とも言える。
(哲学の道文化サロンで。協力=上河宗苑/裏千家)

科学は教養に含まれるか

岡田--
 昨今,教養という言葉は世の中から消えつつあります。筒井先生がかねて研究されてきたテーマに教養があります。教養が学問の対象になるというのは素晴らしいですな。ところで教養の中に,科学は含まれるか。このことに今,関心があるんです。

筒井清忠さん
筒井--
 文科の文と,理科の理を一緒にした文理的教養という言い方があります。教養というものは,人間に対する洞察力を養う人文的教養と,物事の基本的な考え方を身につける理科系的教養をミックスしたものという考え方ですね。そうすると,科学は教養の中に当然含まれていることになります。この考え方は,西洋には,ギリシャ・ローマ時代からずっとあり,それを受け継いだ近代日本でも,文理科大とか文理学部という名称に象徴されるように存在していました。
岡田--
 旧制高等学校は,文科と理科と分かれていて,文科には自然科学,理科には人文の授業があって,物好きの教養人の先生が担当した。私は理科ですが,京大の田辺哲学直々の・・・。
筒井--
 あの田辺元の・・・。
岡田--
 直々のお弟子さんの極めて優れた哲学の授業を受けました。文科の卒業生の中から優秀な数学者が輩出したり,また,理科の生徒が試験の前に数学を教えてもらいに行くような文科の生徒,文科の生徒からドイツ語教えてくれと頼まれるような理科の生徒は幅がききました。僕は後者ですが,それが旧制高等学校の世界でね。まあ,これ,いわば教養ということでしょうか。今や,そういう雰囲気は,まったくなくなっとるでしょうな。

教養が制度になるか

岡田--
 戦後,教養という言葉が教育制度の中に登場したでしょう,教養部といって。ばかげたことですよね。教養が制度に入りますか?
筒井--
 日本の事情をよく理解していなかったGHQの教育担当者の誤解とか,日本側の米国教育への無理解とか,いろいろあったようですね。とにかく,日本がこんな誤った軍国主義の国になったのは高等教育で教養を教えていないからだ,みたいな感じで。旧制高校3年間と大学の3年間を縮めて,教養課程2年と学部2年の新制大学を作った。制度としてね。それで,がたがたになっちゃった。旧制高校は,制度じゃないけども,実際広い意味での教養が伝わるようにできてたんですよね。
岡田--
 教養が,制度になるということ自体矛盾ですね。だから,自然科学系の道へ進まなかった人間は,卒業したら二度と自然科学に関心もたん。いやでいやでかなわなんだが,これで済んだと(笑)。制度は,アメリカのような多民族国家を統合するにはしょうがないでしょうけどね。イギリスには制度はないです。ただし,いわゆる教養の学問をやるのは,オックスブリッジだけ。日本の幕末の留学生でオックスブリッジへ勉強に行ったのは1人もいません。ロンドンとかグラスゴーに行ってますね。だから,日露戦争に間に合うように軍艦ができとるわけです。
筒井--
 全部応用学。ヨーロッパの大学ではどこにもなかった工学部と工科大学を早々とつくったんですからね。
岡田--
 今は,理科系も文科系も応用学になりましたなあ。旧制高等学校がそのままふくらんだような世界はもう終わってしまいました。
筒井--
 もともと日本には漢学的な教養の伝統がちゃんとあったのに,明治以降絶えちゃった・・・。寺田寅彦も湯川秀樹もそうだったのに,どこからか消えてしまったんですね。残念なことです。文科系,理科系問わず・・・。ものすごく単純化すると,教養がなくなったことが,今日本で起きてる,いろんなまずいことの根本原因だと思いますね。応用学があらゆるところを牛耳ってしまい,大学だけでなく日本全体がおかしくなってきた。
岡田--
 もし,我々がこれからも,かつて教養と呼ばれてきたような,広い見識と感受性をもとうとすれば,どうしたらいいですか。
筒井--
 高等教育機関とマスメディアがもっと教養を大事にするようにしないと。
岡田--
 その時にね,使う言葉は教養でよろしいか? 格調ありますけどね。
筒井--
 まあ,知恵っていう・・・。
岡田--
 あ,それ,よろしいね。ただし,知(しる)のかわりに智(さとる)。「知恵」はいっぱいありますが,「智恵」はないですな。

文科系と理科系


岡田節人館長
岡田--
 非常に深刻にけしからんと思うのはね,自然科学の話になると,難しいですね,よう知りませんと言うたら通るねん,世の中。
筒井--
 それはね,文科系の人間のコンプレックスの表れですよ。
岡田--
 何でそんなコンプレックスもつの?
筒井--
 だって,たいがい高等学校で一番成績のいい人間は理科系に行って,その次の人間が文科系に行くんですから。これ,昔から・・・。
岡田--
 いや,わかりました。じつは自然科学の中にも,位階がありましてな。不朽の朝廷制度でして,昇殿を許されてる学問の中に,生物学・地学は,入っとらん。これらは,ノーベル賞の対象分野にないでしょう。物理,化学,数学,その上が天使の世界(笑)。生物学・地学というのはよっぽど劣等性。僕,そうですから(笑)。
筒井--
 学問の進展にノーベル賞は対応できてないっていうことになる・・・。自然科学は,我々から見たら,頭いい人ということで全部一緒ですけどねえ。
岡田--
 私らから見たら,文科系の人は教養の固まりや。具体的なものなしで,どうやって論争が終始するのかということに,私は非常に関心があります。科学のように幼稚な即物的証明のない世界に生きておられるわけでしょう。
筒井--
 学問のジャンルにもよりますけど,邪馬台国みたいな場合,永遠に論争が続きますね。
岡田--
 生物学も永遠の論争がやっぱり続きますよ。進化論はもともと物語。だから,長い間「進化学」とは言わなかったんです。今は自然科学らしくなって,ちょっと位階は上がりましたけれども,魅力を幾分か失うたね。
筒井--
 学問は制度化されればされるほど,必ずそうなりますね。
岡田--
 ましてや,教養が制度になるというんですから。ものすごい間違いな話でした。

科学とスポーツ

岡田--
 スポーツも科学も明治より前にはなくて,西洋からの二大輸入品です。スポーツは教養の中に入れないですか?
筒井--
 この頃,入れないといけないという考え方が,強くなってきてますけど。
岡田--
 それは,むしろ心強い。ワールドカップサッカーのあの熱狂…。あれに比べたら,わが日本の,甲子園の高校野球のごときはスポーツやない。修業。美談ばっかりやってますから。
筒井--
 日本は,運動を楽しんだり,遊んだりするというカルチャーがもともと乏しくて,体を鍛える柔術や剣術があって,そこへスポーツが入ってきたから,野球でも,一打洗心とか,一球入魂とか,どうしてもモディファイされて,日本的なものになっちゃうんですね。
岡田--
 科学の場合は金儲けになるというけったいな意識ね。それが教養になることの妨げになる。私は生物学でよかったです。教養以外何もあらへんやないですか。役に立つという観点で言えば,ものの役にたたんもの,生物学,いうぐらいのもんです。
筒井--
 純粋に研究を楽しむ人がやるものだったのですね。今は,バイオテクノロジーで大変な・・・。
岡田--
 そうなるとちょっと品位が落ちるね。しかし,バイオテクノロジーの技術が進化論を客観的に眺めることができるようにしたという業績は絶大ですよ。それは生物学の革新的なことでね。

自然を楽しむのは教養か


文人の理想郷として自然が画かれている。田能村竹田筆「仙経采薬図」(大分県立芸術会館所蔵)
岡田--
 自然を楽しむことによって,自然に対してある認識をもつ。これが,本当の科学の元です。ところが,日本の自然科学の多くは研究室の中だけにあるかのようにして育ってきた。生物学だけがぶらさがってるのがせめてもの喜びです。自然との接触の喜び,たとえば,釣りは教養といいませんね。星を観察するアマチュアをよい教養をもっておられるという中に入れますか。
筒井--
 かつては入れていた。大正時代の野尻抱影などの本を読んだりすると。今でも琵琶湖の周辺に家をもっていて,庭に簡易天文台と音楽ホールを作っている企業家がいますね。クラシック音楽と星の観察。それは,そういう教養があったから。
岡田--
 星ぐらいになるとちょっと誉められてくる。絵を集めていたら,教養ある人ということになるけれど,蝶々採って嬉しがっている人は,あきませんね。
筒井--
 東洋や日本の江戸時代までの教養人は,自然を楽しむのが基本だから,床の間に山水画を飾ったり,釣りをしたり。むしろ明治以降,失われましたね。
岡田--
 だから,教養の中に科学が入っていてほしいと思います。そうでなかったら,21世紀における科学の役目がない。人間が本性的にもっている自然との交わりとその楽しみ方。ここらあたりを馬鹿な趣味やなあと言わないで,うまくエンカレッジすることが一つの方針だと思いますね。
 ただ,自然に対して女性はちょっと弱い。まあ,フェミニスティックな挙動ではかなり名のある私が言うのやから(笑)。ご婦人は,非常に実質的な人生を重んじる方々で,なけなしの金をはたいてアフリカの先まで蝶々を採りに行ったりしない。昨今は少しは出てきたが。
筒井--
 ハンティングとコレクションは連動しているので,男はその趣味があるのに,女の人はあまりやらない,という説明がなされたことはありますね。でも,フェミニズムの方は納得しないでしょう。
岡田--
 西洋の自然に対する探求心と好奇心は,そこから来たことは間違いないですな。その上に科学は成立しとる。知性がそれに影響され,当然西洋の教養の中にはそれがある。

大人に科学の関心を

岡田--
 子供は科学好きになる素養のある子は放っておいてもちゃんと好きになる。大事なのは大人。とくにご婦人やな。
筒井--
 また,ご婦人ですか(笑)。
岡田--
 絶大ですよ。お母さんが理科系に興味もっていたら,子供も興味もつかもしれない。だいたいビジネスで働く男性よりもお母さんのほうが教養があって,英語や国語を一生懸命やる。それに自然科学を加えてもらう。日本を変えようとするなら,これや(笑)。いったん理科を離れた大人が,自然科学を人生の教養としてもてたら,DNAを恐ろしいというようなことを言う雰囲気がなくなってくる。情けない話,科学を受け入れる態度や感受性において,日本は科学技術振興の最先端の国であるにもかかわらず,未成熟である。
筒井--
 時折怪しげな新宗教的なものが跋扈するのも,この世の中に,きちんと自然科学が位置づけられてないからですね。
岡田--
 特定の宗教が,科学の普遍的な原則まで否定するのは,日々の生活における我々の教養としての科学の位置の低さですな。だから,教養の中に,科学を入れてやってくださいということになります。
(1998年8月収録。写真=桑島昌志)
つつい・きよただ
1948年大分市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程終了。専門は社会学。日本の教養を論じ,映画にも詳しい。著書に『日本型「教養」の運命』(岩波書店),『昭和期日本の構造』(講談社学術文庫)などがある。
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