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SYMPOSIUM 生命誌から生命科学の明日を拓く

iPS細胞
進捗と今後の展望〜コロナ禍の中で〜

山中伸弥

京都大学iPS細胞研究所所長

1. 細胞とウイルス、そして人間

京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥です。永田先生とは20年近いご縁で、2004年に私が京都大学に着任した当時は、再生医科学研究所という組織でしたが、たまたま研究室が永田先生のお隣で、日常的に研究室間の交流もあり楽しく実りある経験をさせていただきました。そのご縁から生命誌研究館でシンポジウムを開催する運びとなりました。講演というと、普段は来場者に向かってお話ししますが、今日は研究館の展示ホールからオンライン中継です。会場は無観客ですが、私の目の前には、38億年の生命誌に関する展示が並んでおり、何とも幸せな気分でお話しさせていただきます。展示ホールのテーマは生命で、私も生命を研究する研究者です。そこで最初の話題ですが、生命あるいは生物とは何か? という「問い」に明確に答えられる定義は未だありません。でも研究者間でおおまかな共通認識はあります。私の体も、永田先生の体も、生物の最小単位は細胞と呼ばれているものです。細胞は大体10マイクロ(1ミリの100分の1)程の大きさで肉眼では見えません。顕微鏡が発明され、初めて存在が明らかになった細胞を基本単位とするのが私たち生物です。細胞にはいくつかの特徴があります。まず内と外とを分ける境界となる膜で周囲が覆われ、その中に遺伝子が入っています。生きていく上で必要なさまざまなタンパク質をつくり、さらに自分と同じものをつくり出す、その設計図にあたるようなものを持っているわけです。そして、外からいろいろな物質や栄養を膜の中へ取り込みまた送り出す、即ち代謝するという特徴があります。そのような存在が細胞であり、細胞を基本単位とする生物であると考えられます。私たちヒトのような多細胞生物の体は数十兆もの細胞からなると言われています。

ところで、最近、細胞に似て非なるものが世の中を騒がせています。ウイルスです。ウイルスは細胞の100分の1程の大きさで、光学顕微鏡では見えず、電子顕微鏡でしか見えないものがほとんどです。ウイルスも細胞と同じく膜や殻でできた境界とその中に遺伝子を持ちます。しかし、生存に必要な遺伝子の一部しか持たないため単独で自己複製できず細胞に侵入し自己増殖します。そして細胞の中にあるさまざまなしくみを使って、自己複製に必要なタンパク質や、自分の遺伝子をつくらせて、何十倍、何百倍のウイルスとなって外へ出ていきます。多くのウイルスは、細胞にさんざんお世話になった挙げ句に細胞を壊して外に出て行ってしまうのです。

私たちの日常でウイルスという小さな存在を意識することはほとんどないでしょう。ところが今年の2月頃から、世界中の人々がウイルスという言葉を耳にするようになりました。新型コロナウイルスは今も世界中を撹乱しています。ヒトの細胞に感染するコロナウイルスはこれまでにもいろいろ知られています。ウイルスは空気中にも存在します。吸気と共に喉や鼻の粘膜から進入して細胞に感染し、いわゆる鼻風邪・喉風邪を引き起こします。症状の軽い風邪の原因はいろいろでコロナウイルスもその一つです。

2. 今、コロナ禍のただ中で

2002年に新しいコロナウイルス現れました。SARSと呼ばれる病気を引き起こすコロナウイルス(SARS-CoV)です。これに感染すると重症の肺炎を引き起こします。2002年から2003年にかけて32の国と地域で発生し約8,000人が感染。その約10%の700余人の方が亡くなりました。その後、2010年にMERSと呼ばれる別の病気で、同様に重症の肺炎を引き起こすコロナウイルス(MERS-CoV)が突如現れました。やはり多くの国々に広がり、27カ国で約2,500人が感染し858人が亡くなりました。MERSの死亡率は約30%で、SARSより恐ろしい病気です。SARSもMERSも日本では一人も亡くなった方はなく、世界中で協力して抑え込みを図り感染拡大を終息させました。

そして、2019年12月頃から中国の武漢で新たなウイルスによる肺炎が見られるようになりました。原因のコロナウイルスがすぐに突き止められ、その遺伝子がSARSとよく似ていることから、SARS-CoV2と名付けられました。これが2020年に入り急速に世界中に広がりました。このSARS-CoV2いわゆる新型コロナウイルスは200以上の国々に広がり、これまでの報告でも、2,500万人以上が感染し、85万人以上の方が亡くなっています。

新型コロナウイルスは、SARSやMERSとは比べものにならない規模のパンデミックを引き起こしています。振り返って見ると、4月1日には、世界中で感染者が88万人程、亡くなった方は4万5,000人程でした。ところが5カ月後の9月1日には感染者数は2,500万人、死者数は約85万人と20倍、30倍に増えています。今も世界的に見て増加傾向にあり決して収束に向かってはいません。今後、北半球は秋から冬へ向かいますのでインフルエンザなどのいろいろな呼吸器系の病気も増えることが予想され、感染者も死者も増える可能性があります。油断できない状況は変わっていないのです。

新型コロナウイルスがなぜここまで広がってしまったのか? SARSやMERSとどう違うかは非常に大切です。いろいろな違いの中でも、感染しても、特に若い人で症状が出ない場合が多いのがこのウイルスの最大の特徴です。SARSやMERSは感染すると若い人でもほとんど重症の肺炎を起こしました。ところが新型コロナウイルスは感染しても無症状のことが多く、潜伏期間にも他の人に感染させてしまいます。そして高齢の方や基礎疾患をお持ちの方は重い肺炎になることがあるのです。免疫のない新型ウイルスは少しでも吸い込むと感染してしまいます。自分が感染したと気づかぬまま、同じ家で暮らす方が肺炎になり、急激に悪化してしまう場合もあるのです。

このウイルスが広がり出した今年の2、3月頃は、多くの研究者もこのウイルスの特徴に気づかず対策が遅れ、欧米を中心に感染が急速に広がりました。高齢者を中心に何万人もの方が亡くなった国もあります。今、日本を含む多くの国で感染者数が落ち着いてきたように見えますがウイルスは決して無くなっていません。

私はサンフランシスコにも研究室があるので、月に1、2回、アメリカと往来していましたが今年は2月中旬が最後です。その頃、向こうでも新型コロナウイルスが話題になっており、私もウイルスの専門家の主催するセミナーに参加しました。その時、新型コロナウイルスはインフルエンザに比べ死亡率が低く、注意は必要だがさほど心配することはないと、これは世界のトップクラスのウイルス学者が言っていたことです。さらに彼の話では、症状のある人のマスク着用は意味があるが、症状のない人がマスクをしてもあまり予防効果がないということでしたので、僕も帰国してしばらくはあまりマスクを着けませんでした。ところが今ではその研究者も、世界の公衆衛生を統括する機関であるWHOもマスクを推奨しています。

今、新型コロナウイルス感染対策として、症状の無い人もマスクをしましょうと言われています。そもそもマスクの網目は、小さなウイルスの侵入を防ぐには大きすぎ、息を吸えば空気中のウイルスを通してしまいます。しかし、ウイルスは感染者の唾液にたくさん含まれており、日常会話でも飛沫として外に放出されることがわかっています。マスクはこの飛散を防ぐのに効果的です。自分が感染して症状もなく気づかない段階でも、マスクの着用は他の人にウイルスを感染させるリスクをかなり低減させます。周囲の人のためにマスクをする。新型コロナウイルスへの対策ではそういう意識が非常に大切です。

3. 医学研究には時間が掛かる

もう一つウイルスの話をしたいと思います。私の父は今から30年ほど前に、あるウイルスが原因で亡くなりました。享年58歳でした。実は1週間前の9月4日に、私も58歳になりました。父はこんなに若くして亡くなってしまったのかと実感しています。もっと生きたかっただろうと思います。その翌年、1989年にこの原因ウイルスがアメリカで発見されました。今ではC型肝炎ウイルスと呼ばれ血液に感染することが知られています。父は仕事中の怪我が理由で輸血を受けており、おそらくその時感染したのでしょう。肝炎を発症しやがて肝硬変という重い肝臓病で命を落としました。C型肝炎ウイルスが判明して後、世界中の研究室や製薬企業が治療法の開発に乗り出し、2012年にアメリカで特効薬ができました。ハーボニーと呼ばれる飲み薬です。1日1錠、3カ月飲み続けると99.9%の患者さんからC型肝炎ウイルスが消えてなくなる素晴らしい薬です。今では同様の治療薬が何種類かできています。研究者が力を合わせて一つの病気を克服できた。これは私たち医学研究者が目指していることです。臨床医への道を歩んでいた私は、父の死をきっかけにその後医学研究者になりました。今もたくさんある難病の治療に貢献したいと思って研究をしています。

C型肝炎の研究は、病気を克服した成功例であると同時に、医学研究の大きな課題を物語っています。病気の原因がわかってから薬が販売されるまでに25年という歳月が掛かっています。これは医学研究に限ったことでなく、研究はすべて時間が掛かります。外科の臨床医だった頃、目の前の患者さんが治るか治らないは、今この瞬間の手術に懸かっており、結果もすぐ出てしまうという現場でしたが、同じ医学でも研究は全く違います。研究をやり出してから患者さんに届くまで、20年、30年かかってしまいます。これが医学研究の最大の課題だと思います。

私は、日本で大学院まで進み研究者の基礎を学んでから、1993年にサンフランシスコのグラッドストーン研究所に留学しました。留学期間中いろいろ貴重な経験をしましたが、最も大きな出来事がES細胞との出会いでした。ES細胞は、1981年に研究者がマウスの受精卵からつくり出した細胞です。マウスやヒトなど哺乳類を含む脊椎動物は、卵子と精子の受精からその一生が始まります。受精卵という一つの細胞から、心臓や脳など身体中の組織、器官をつくるすべての細胞ができてくるのです。この受精卵を体外に取り出し、実験室で長期的に培養することに成功したものがES細胞(胚性幹細胞)です。ES細胞は他の細胞にない二つの能力を持ちます。一つは、ほぼ無限に増えること。もう一つは、神経細胞、筋肉細胞、血液細胞など、身体に存在するあらゆる細胞をつくり出せること。受精卵と同じ能力を実験室で発揮できるのです。このES細胞は今もさまざまな医学分野で多大なる功績を納めています。この研究の後に帰国し奈良先端大学院大学で初めて研究室を持ちました。1999年、37歳の時です。研究室では大学院生を迎え一緒に研究します。大学院生は皆22歳の若者です。今日、講演を聞いていただいている皆さんは17、8歳くらいですね。皆さんとあまり年齢の変わらない若者たちが研究を進めくれた、その成果がiPS細胞です。

4. ゴールを目指して走りぬく

iPS細胞は基本的にES細胞と同じ性質を持ちますが、その由来が異なります。受精卵から作出するES細胞と違い、iPS細胞は大人の皮膚や血液の細胞からつくり出します。私たちは、皮膚や血液の細胞に4つの遺伝子を送り込むことで、ES細胞と同じ能力を持つ細胞に変えることができると見出したのです。この細胞をiPS細胞と名付けました。遺伝子を細胞に入れるためにウイルスの能力を利用しました。ウイルスはヒトにも感染しさまざま病気を引き起こしますが、私たちは、逆に特定の遺伝子を細胞に導入するためにウイルスを用いたのです。2006年にマウスの細胞で、2007年にヒトの細胞で成功しました。ヒトでの成功には大きな意味がありました。ヒトのES細胞を作出する場合はヒトの受精卵を用います。医学のためにヒトの受精卵を実験室で扱ってよいのか? 欧米を中心にこの問題を巡って倫理的な議論が続いていましたので、大人の成体の一部からつくり出したiPS細胞は世界中の注目を集めました。この細胞を実際につくってくれたのは私の研究室の若い研究者たち、徳澤さん、高橋君、また難しい実験を専門的にやってくれる技術員の一阪さん。皆20代半ばの時に世界中の研究者にインパクトを与える研究をしてくれました。

iPS細胞の発表から14年がたちます。マラソンに例えると折り返し点に到達したところです。iPS細胞は、実験室でほぼ無限に増やすことができ、身体に必要ないろいろな細胞につくりかえることができます。私たちはこれを再生医療や創薬に応用し患者さんの元へ届けたいと、日夜、研究を進めています。

具体的には、脳の神経細胞に起因するパーキンソン病、目の網膜や角膜の病気の治療、輸血、心臓の筋肉の病気、怪我によって身体の一部が動かせなくなる脊髄損傷などに対する研究が進んでいます。こうした特定の細胞の機能喪失に起因する病気や怪我に、iPS細胞による治療が効果的だと考えています。現在、これらの細胞を大量につくり出すことができますが、それを患者さんに移植し機能を改善する再生医療の実現には、治療の効果と安全性を検証する臨床試験が必要です。今、医学研究の中間点まで来ました。なんとかゴールを目指して走りぬきたいと考えています。

さらにゴールはこれだけではありません。細胞だけでなく、細胞を立体的に構成した組織、臓器をつくる研究も日米で盛んです。さらに究極の再生医療と言えますが、iPS細胞をつくる4つの遺伝子を実験室の中でなく、動物や、将来的にはヒトの体内へ導入し、その効果を発揮させて再生を誘導する研究も世界で進んでいます。今はSF小説のように聞こえるかもしれませんが、SF小説に書かれた世界が10年、20年後に実現するということを私たちは何度も見てきました。ここでお話ししたことも近い将来に実現するのではないかと思っています。

iPS細胞を用いた医学応用の実現には、まだ10年以上の歳月が掛かるとは思いますが、今、高校生の皆さんが30、40歳になり社会で活躍している頃には、今日ご紹介したような病気のいくつかが治せるようになっていることを目標に、今後も頑張っていきたいと思います。

写真:大西成明

当日の記録動画を京都大学iPS細胞研究所(CiRA)YouTubeチャンネルでご覧になれます。

動画を見る

山中伸弥 (やまなか・しんや)

1962年大阪府生まれ。1987年神戸大学医学部卒業、国立大阪病院で整形外科の研修医に。93年大阪市立大学大学院医学研究科修了。米グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授などを経て、2004年から京都大学再生医科学研究所教授。10年4月から京大iPS細胞研究所長。2009年ガードナー賞、アルバート・ラスカー基礎医学研究賞受賞、2010年京都賞先端技術部門、恩賜賞・日本学士院賞受賞、2012年文化勲章、ノーベル生理学・医学賞受賞

 

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シンポジウム

5/18(土)13:30〜15:45

虫の会(拡張版)第三回 「ピン留め」と「退縮」で作る昆虫の鋭い構造