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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2020.05.15

真っ白なシャツから始まって

5月の前半。いわゆるゴールデンウィークは、この27年間職場が関西だった私にとっては、東京の自宅でゆっくり過ごせる大切な時間でした。衣替えと本の整理をします。今年も同じように過ごすことになりましたが、事情はいつもと違います。一つは社会全体の動きです。新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために仕事での外出がまったくなくなり、「ゆっくりお家で」が例年よりはるかに本格的になりました。もう一つは4月に関西を引き上げましたので、個人的にも「ゆっくりお家で」が本格的になったのです。

そこで、衣替えの時のお洗濯を本格的にしようという小さな決心をしました。まずブラウスを全部出して、襟や袖口をいつもの何倍もていねいに手洗いし、新開発と自信をもってプレゼントされた洗剤を使って洗ったところ、並べて干した白いシャツたちがキラキラと輝いてみごとなのです。襟の形、素材、小さな刺繍など少しずつ特徴のあるブラウス、カッチリしたワイシャツなど、並べてみると10枚以上。その他、縞や柄のものもすっきりと仕上がりましたが、なんと言っても気持ちよいのは白です。今年は白シャツを楽しもうと、気分が高まっています。

小さな小さなことですが、今の私にとってはクローゼットに並んだ白いシャツが気持ちを明るくしてくれる宝物です。これまでも手を抜いているつもりはなかったのですが、やはり気忙しいなか急いでいたのでしょう。「ちょっとしたていねいさ」が大切なんだ。改めて心に止めました。

新型コロナウイルス感染拡大は、まだ収まりそうもありません。医療、経済、教育などなど、社会としての問題は山ほどあり、どれも解決の努力をしなければなりません。一方で生活者としては、一人一人がちょっと立ち止まり、小さなことをていねいにやって、そこに意味や楽しみを見つける生活をとり戻すよい機会かなと思うのです。

先回渡辺一夫先生の『ユマニズム』という深い思索から生まれた本を紹介し、そこから人間を考えますと、ちょっと偉そうに言いました。でも人間らしさの具体は、真っ白なシャツを楽しむことでよいのではないかなとなりました。先生も哲学理論や思想ではないとおっしゃっています。面倒なこと難しいことより身近なことという、いつものパターンになりましたが、これで考え続けます。

たとえば生命誌の基本に置いてきた「動詞で考える」は、日常生活の中で生まれた発想です。哲学の世界には主語と述語という課題があり、「哲学」という学問としては私には歯が立たない西田幾太郎の考えは「主語は述語に含まれる」というところにあるとされています。これに、心から共感します。頭での理解ではなく、すとんと落ちるというところです。私がどうしても動詞で考えたくなったのはそれなんですよねという気持ちです。

生命誌は学問ではなく、日常ということでしょうか。

付記:
「花がとても綺麗」。そう思われませんか。街のあちこちに咲くつつじやプランターの中の小さな花たちの色がいつもより鮮やかです。
家の庭も同じ。やまぶきやこでまりがたっぷりと咲きました。藤棚は作ってから25年、こんなの初めてという見事な房が垂れきれいでした。他の花たちもみんなせいいっぱい咲いている感じです。「今地球が喜んでいるのよ」。娘がそう言います。ガンジス川が澄んでいるとネットにあったと言いながら。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶