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研究館より

表現スタッフ日記

2020.07.14

そこに、ただ「いる」だけ

この4-5月のあいだ、街の動きが止まって季節の変化だけがある時間を過ごしたように思います。いつも交通量の多い自宅マンション前の道路は、信号の点滅以外うごくもの一つなく、遠くの高架線をガラガラの阪急電車だけが行き来していました。ベランダから見ると、お客のいない車内は窓の向こうまで見通すことができ、青空や夕焼け空を詰めこんで走っているようでした。いつもの春よりたくさんの小鳥がさえずっていたように感じたのは、私の感性が変化したからなのでしょうか、それともヒトが静かにしているぶん、他の生きものにとって過ごしやすい春となったからなのでしょうか。

多くの方が大変な思いをされている中、「外出自粛」という形で、家で静かに仕事していなさいと言ってもらえたのは恵まれたことだったと思います。もともと頻繁に外出する方ではありませんが、この状況を受けて、毎週買い物には行かないでおこう、人混みに出ないでおこう、実家にはしばらく顔を出さないでおこう・・・など、不要不急の行動を考え続けていると、そもそも自分って本当に社会に必要だったのかな・・・などと余計な考えも湧いてきます。それがやがて、「自分はただ『いる』だけで、何の役にも立っていないじゃないか」という後ろめたい声になってしまいます。臨床心理士の東畑開人さんによるエッセイ『居るのはつらいよ』によると、このような後ろめたさは誰でも感じ得ることで、それは今の社会経済が「ただ、いる、だけ」を認められない構造になっているためだといいます。しかし一人一人の存在そのものはゆるぎない事実のはずで、「生きている」ことの根底はとりあえず「いる」(続く)ことができているという点にあります。そして今の科学で、38億年の歴史をもち、37兆個の細胞からなるたった一人の人間が、ただ「いる」ことを説明するのはどんなに大変か(というかまだ出来ません)・・・。

経済のしくみや考え方を変えるのは大変ですが、「いる」という一見当たり前の事実が、実は謎に包まれた大事件だと伝えること、それが、後ろめたさを感じている自分も含め、一人一人が暮らしやすい空気につながっていけばいいなと感じたのでした。時には静かに過ごす時間を大切にしながら、考えて続けていきたいと思います。