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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2020.10.01

生きもの(自然)はへんてこで扱いにくい・・・②

先回は、夏の間雨がまったく降らなかったために庭の植物が可哀想な状況に置かれ、水やりに苦労したことを書きました。そこで、自然はなかなか思うようにはならず、生きものは面倒だということになったのでした。自然や生きものの話は、すばらしいという形容詞と共に語られることが多いのですが、日常的には面倒だというのが実感です。ただ、ここで面倒という言葉の意味を確認しておかないと誤解を招きかねません。現代社会では、この言葉は100%否定的な意味で使われますが、私は今ここである種の愛おしさをこめて使っています。この説明をしていると今日の本題に入れませんので、これは次回に回しますね。

庭の話でした。我が家の庭は、大きく三つの素材、つまりレンガと砂利と土とでできています。多摩川が武蔵野台地を削りとってできた段丘である国分寺崖線という高低差15メートルの崖ですので、レンガは階段として役立ちます。少し広く平らになっているところには砂利を敷いて椅子とテーブルを置き、ちょっと休める場にしてあります。土の部分は自然を大切にというと聞こえはいいのですが、要するに自然に近く武蔵野の雰囲気を残した樹や草花があれこれ生えています。その中で一番大事にしているのは、以前はどこにでもあったのに開発が進んでとても少なくなってしまったニリンソウです。春には、その名の通り二輪並んだ小さな白い花が少し間をおいて開くのがなんとも愛しい花です。手をかけてつくりあげるのは好きではないのでと言っていますが、あまり面倒なことはせずにいようというのが本音です。

そこで、景色の基本にしているのがレンガの赤と砂利のグレーと土の部分の緑という三つの色の対比です。こう書くと簡単ですが、問題は緑です。ちょっと放っておくと、本来生えてはいけないレンガの赤と砂利石のグレーの中に緑が入りこむのです。人呼んで雑草と言われるもので、それを取るのが私の仕事です。週末に帰って庭に出て見ると、よくぞここまでと感心するほど元気よく、あちこちに緑が広がっています。もちろん夏が一番元気ですが、季節を問わず広がります。

人工物であるレンガはまったく変わらず、同じ自然と言っても砂利石は日常生活の時間の中では変化しません。そこでこう考えました。科学が相性がよいのは自然でも、宇宙のように一生の時間の中ではほとんど変わらず数式で表現できるところなのです。もう一つ扱いやすいのは自分の思い通りにつくり、使える人工物です。そこで、これらとのつき合いで作られているのが科学技術文明社会というわけです。これが快適で暮らしやすい社会として受け入れられてきたのです。

私たち自身が生きものであるのに、もしかしたら生きものであるからこそ、日常の時間の中で変化したがる生きものの世界は面倒で扱いにくいと敬遠してきたきらいがあります。生きものは勝手に変わったり動いたりし、小さな草でさえ少しも思い通りにはならないのですから。

産業もそうです。生きものが関わる農林水産業は、これまで決して上手に進めてきたとは言えません。工業製品、情報技術など人工の世界は急速に進みました。しかも、テジタル庁を誕生させて政府の肝いりでこれを更に進めることが社会の進歩だと多くの人が考えています。しかし、人工の世界も実は、AIの進歩などによって生きものである人間との関わりが面倒になってきているのです。それなのに、面倒なところには目を向けずに、扱いやすいところだけを見て科学技術を進めることを考えていてよいのでしょうか。

今大事なのは、自分自身が生きものであることに立ち戻って、複雑で面倒だからと言ってこれまで苦手としてきた生きものの世界をよく知る知を創り出し、生活に組み込んでいくことではないでしょうか。従来の科学技術をそのまま進歩させるのではなく。生命誌はそのような知として存在しているのであり、これをもっと深く考え、本当の暮らしやすさを支える文明への道を探りたいと思っています。とても面倒ですが面白い挑戦です。面倒は決してマイナスではない。草取りをしながら思うことです。

附) 9月12日に開催された「生命誌研究館」でのシンポジウムで、私が高校生の皆さんに伝えたかったのは、生命誌の考え方です。今の科学の中での競争でなく、自分が大事と思うことを探し、考え、新しい知を創る時が来ていると思います。草取りをしながら考えたことは、高校生の皆さんと一緒に考えたいことです。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶