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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2020.10.15

生きもの(自然)はへんてこで扱いにくい・・・③

─面倒をマイナスとしないこと─

今年は、生きものってちょっと面倒というシリーズを続けたいと思っています。書きたい項目はいろいろあるのですが、その前に先回お約束した「面倒」の説明をしておいた方がよいですね。

言葉を考える時は、まずは辞書です。定番の広辞苑には、面倒は当て字で、目と無益を意味する「だうな」とからできているとあります。つまり、見るのも無駄ということです。そして①体裁の悪いこと ②わずらわしいこと、手がかかること ③厄介 という意味がある(面倒なのですべては書きませんでした)と説明されています。他の辞書(私の好きな新解さん)の用例には「疲れて何をするのも面倒だ」「御面倒をおかけして申し訳ございません」など。よい意味はありません。新大関正代のようにネガティブです(正代の受けこたえ、大好きです。誰と取り組みたいですかと問われて、誰とも取り組みたくありません。いいですね)。

生きものは見るのも無駄……。そんなことはあり得ません。体裁が悪いも違います。一番関係があるのは、草取りをしながら考えた、生きものは手がかかって厄介でちょっとわずらわしいというところでしょうか。日常はほとんどこのような意味で使っていると思います。現代の科学技術社会は、ここから離れる技術を次々と開発しました。家の中にある家電製品はすべて家事に手がかからないようにしてくれています。ありがたいことです。それに比べて、家の中にいる人間共は手がかかり面倒です。でも、もし赤ちゃんがまったく手がかからなかったらどうでしょう。手をかけさせてくれているという感じはありませんか。手をかける楽しみを与えてくれる存在が赤ちゃんなのではないでしょうか。生きているということは面倒を楽しむことだと言ってもよいと思います。実際、新型コロナウイルスの感染を拡げないために病院へのお見舞いや介護施設への訪問が規制されて、気が重い体験を多くの人がしています。

いつも面倒に向き合いたいと思っているわけではありません。機械は上手に使いましょう。でも、生きものは面倒を抱えているものであり、それを楽しむところに関係が生まれ、心のはたらきが生まれるのです。生きものの魅力は、関係や心にあり、そこでは面倒=ネガティブではないというところから生きものを見ていき、人間を考えていこうと思っています。

付録にちょっと日常を。生きものは面倒と言いながら、意外に単純とも思っている話です。自宅での仕事が主になって、これまでと変わったことの一つに食事があります。朝6時に起きて朝食、正午には昼食、夕食は午後7時という繰り返しを家族揃ってやっています。ここまで規則的な生活は初めてかも知れません。ときどき、とくにお昼はもう12じかと思うことも少なくありませんが(なぜ三食食べるのだろうとぶつぶつ)、これで体調がとてもとても良いのです。

このような生活が普通になると、社会全体が健康になるという事のようです。それができない状況を作って、面倒な制度や経済を動かしているのかも知れませんね。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶