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研究館より

表現スタッフ日記

2021.01.15

20年目のゲノム像

 2021年が明けました。その数字をみて「ああ、もう20年になるのか」と気づきました。20年前の2001年の2月、2つの世界でもおそらく最も有名な科学雑誌の2つNatureとScienceに、それぞれ「全ヒトゲノムの解読」の論文が掲載されました。ドラフトゲノム、ゲノムの完全な配列データを完成品とするとその「下書き」ができたという発表です。その前年、ヒトゲノム完成を競う国際コンソーシアムとゲノムの風雲児クレイグ・ベンターの息を持つかせぬデッドヒートの末、同着という了承が交わされ、独立の研究成果として公開されたのです。その後3年間をかけ染色体ごとに精査し完成宣言となりますが、人類代表のヒトゲノムのもつ30億のDNA塩基配列、GATCの並びは、ここで一度完成の日の目を見ることになりました。「とりあえずこれが全体像です」と言えるものからスタートする科学の幕開けです。個のゲノムには1つとして同じものはありませんので、基準となる配列があれば、それと比べることができるのです。

 ヒトゲノムゲノムプロジェクトの後、ゲノムから読み解かれるあらゆる要素の百科事典をつくる試みとしてENCODEプロジェクトが2003年に始まりました。何度かの途中経過を経てENCODE3という名で最新情報が公開されたのは昨年のことです。全人類の代表ゲノムは、体を構成する細胞一つ一つで働くゲノムの姿を描くまさに「下書き」として、さまざまな修飾がほどこされてきました。ここで新たに見えてきたエピジェネティックスとは、ジェネティクスとしてDNAの二重螺旋が複製する4種の塩基の配列に加え、塩基に目印がつき、タンパク質やRNAが集まった「生きたゲノム」の状態です。目印の有無まで考えに入れれば、ゲノムの配列はGATCの文字列というのは1つの見方であり、もっと多様な配列像が描けるはずです。RNA分子には、さらにまざまな目印がつけられることがわかっており、それが今注目のRNAワクチンの開発につながっています。

 また核の中で、ゲノムの目印やそれをたよりに集まる分子が実際にどのように働くかもみえてきました。遺伝子が働く転写の始めには、さまざまな分子が働きかけて転写酵素が結合することはわかっていましたが、狭い空間に押し込まれたゲノムからどうやって目的の遺伝子を見つけ、うまく使えるのかは、想像を超えた現象です。しかし、核の中で転写がさかんにおきているところを調べると、集まってきた分子の混み具合や種類によって油滴のような区画ができたり、また溶けてなくなったり、そんな反応の場所ができることがわかってきたのです。相分離という現象で、細胞内の様々な現象を解釈する視点として、今大きな注目を集めています。温度やストレスなど環境の変化にも速やかに対応でき、生きている状態をゲノムが制御している姿が現れはじめました。

 これまで、ゲノムを線、蛋白質を箱のような模式図を教科書で見慣れてきて、季刊「生命誌」の研究紹介でもなんの疑いもなく描いてきました。しかし、生きものの細胞は、膜のなかにさまざまな分子が溶け、浮かんだ液体を包んでいるのですから、液体が変化するという方がずっと自然な姿です。科学というのは、わかりやすく一般化したモデルを提案することが使命であり、それが「科学の表現」と言ってもさしつかえありません。でもその一方で、真の姿をどのように伝えるかということも大切であり、それこそが日常と科学とをつなげ、「生きている」実感のある科学の表現になるのではないかと感じています。ドラフトゲノム20周年を迎え、新しいゲノム像を描きたいと心は逸るばかりです。


 2001年のhuman genome特集のNatureとScienceの付録についていたマップ。

平川美夏 (全館活動チーフ)

表現を通して生きものを考えるセクター