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研究館より

表現スタッフ日記

2021.02.01

「腑に落ちる映画の形を求めて」

 コロナ対策の継続が必要な日々が続いています。表現を通して生きものを考えるセクターでは、そのような状況下でも積極的な発信を行いたいと、オンラインでの動画配信などを想定して、少々機材を導入しました。ウェアラブル360 度カメラGoProと、動画編集用にPremiereをインストールしたPCです。最初の活用は、来月発行予定の季刊「生命誌」の対談のダイジェスト版になります。取材した11月は、コロナ対策の規制も比較的緩やかで、十分な配慮をしたうえで対面による取材を行うことができました。語り合いの臨場感をつたえるものにしたいとまとめています。来月、ぜひご覧ください。

 このカメラを手にしたのは、11月の初旬。例年になく美しい秋の紅葉が始まる季節でした。せっかく導入した映像機材です。これを活用してどんな表現が可能だろうか? 夢は広がります。さっそく以前から考えていたことを試してみることにしました。それは、「表現を通して生きものを考える」とはどのようなことかを、スタッフの日常を通して描くことです。季刊「生命誌」編集の話し合い、展示ホールの情景、オメガ食草園の毎日、肺魚、ナナフシのお世話をする様子…。この月は、自分が生命誌のお話をする機会もいくつかあったので、それも自撮り。また以前、私が能の小鼓のお稽古をしていることをここにも書きましたが、その様子も。生命誌は科学に閉じこもらず広く文化としてあるはずですから。更に、日常との重ね書きの「日常」に厚みを持たせたいと、庭を訪れる鳥、玄関に現れるシミ、網戸に産卵したカメムシ、水槽のメダカ、雲間に顔を出す満月、通勤の車窓の風景、肖像権をクリアできそうな愚息との休日にもカメラを向け続けて約1ヶ月間、ちょうど紅葉も終わる頃、3テラほどの撮影素材を整理していてこの1ヶ月の出来事が、1週間の物語に編集できることに気づきました。その時、全身が眼であった撮影モードを抜け、そこから1ヶ月、Premiereと格闘して、映画のパイロット版になりました。

 映画の中で、とくに食草園は、ここに小さな生きものが暮らし、移り変わる季節を映す鏡で、研究館から自然に開いた窓になっています。ドキュメンタリーの佐藤真監督に『日常という名の鏡』という著書があります。本当に何気ない日常の一コマに真実が宿るのだと思います。研究館のドキュメンタリー映画「水と風と生きものと」の公開以来、私は年1回「生命誌を考える映画鑑賞会」を開催し、自然や人生や物語を考えさせてくれるさまざまなドキュメンタリー映画を上映してきました。そして、上映させていただいた優れた作品から私が学んだのも、やはり日常こそが映画ということ。それを今回、自分で試してみました。この試作の映画が描こうとしているのは、生命誌38億年と能楽700年の重なる物語。そこに至るカケラを日常から掬い上げることを目指しました。GoProを手にした日から2ヶ月で、ここまでくるとは思ってもみませんでしたが、自分としては「腑に落ちる映画の形」になっているので、ご評価を仰ぎたいと考えています。まだいろいろ調整しなくてはならないことがあるのですが、いつか上映できる日を思って。


食草園の開設は2003年。私は最初の庭師でした。若いでしょ。