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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2021.06.01

植物って何だろう

法然院の梶田真章管主(敬称が間違っていたらごめんなさい)が、書いていらっしゃいました。「今年は、私が当院をお預かりした1984年以降では最も椿の花の数が多い春になりました」と。法然院と言えば、中庭の三銘椿(五色散り椿、貴椿、花笠椿)の他では見られない彩りを思い出します。京都にいた時は、時々伺っていました。三銘椿はまさに銘木ですが、外にあるヤマツバキ、それが石畳に散った姿の可愛らしさも忘れられません。

これと並べて語るのは憚られますが、わが家の庭の入り口近くにある椿もかなりの大木で、今年は、これでもかとばかり、咲いては散り、咲いては散りを繰り返しました。これまでにない数でした。椿だけではありません。ヤマブキ、ユキヤナギ、ウツギなどの灌木も溢れんばかりの花をつけました。今、ツツジとバラがそんな状態です。

春の初めにも書きましたが、どこか気になる咲き方です。新型コロナウイルス、異常気象など、これまた気になりますので、このいずれかが関係するのか、全く別の原因によるものかと考えこみます。植物の専門家にお聞きしても、明快な答えはありませんでした。よい兆しか、危機の予兆か、はたまた大きな自然の流れの一つに過ぎないのか。綺麗すぎる花を眺めて首を捻っています。

というのも、「私たち」について考えているうちに、「植物って何なのだろう」というテーマが浮かんできました。光合成能力をもつ細胞が生まれ、それが私たち動物とはまったく異なる生命体と言える植物という形に収まったことが不思議に思えているのです。生きものの世界は炭素の循環で成り立っていますが、動物はそれを二酸化炭素にしてしまい、元には戻せません。光合成が出来るのは植物だけ。理科の時間の最初に習うことですが、「脱炭素」とか「水素社会」などと言っている人たちはここが分かっていないとしか思えません。

最初の花の話に戻りますと、植物を生きものとして、私たち動物と同じように考えると、植物にも痛みがあると感じます。トマトにモーツアルトを聴かせるとよく実るという話も自分が聴いた時の気分と重ねてのことでしょう。痛みも気分のよさも日常感覚としてはわかります。私も植物に話しかけることはよくありますし。それは大事にしたうえで、生命誌の中での植物の位置づけをすることが必要だと思うようになりました。「そもそも植物とはなにか」を問う本なども読みながら。

新型コロナウイルスのせいで外出はほとんどなし、会議もすべてオンラインになってこれまでと違う暮らし方です。「あそんでるようで、はたらいてるようで」。まどみちおさんの「つけものいし」と同じ気持ちです。考えてみたら石にだって感情移入してますね。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶