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研究館より

表現スタッフ日記

2023.05.16

森と太陽と孤独の公園

万博記念公園にある太陽の塔の内部の「生命の樹」を見学しました。生命の樹は、1970年に行われた万国博覧会の日本のパビリオン展示で、単細胞生物の世界を根っこに、太陽に向かって立ち昇るような形で生物進化が表現されています。進化について、当時より遥かに多くのことがわかっている現代でさえ、この強さを超える生命展示はつくれないと思うほどの衝撃でした。

発案者の岡本太郎氏が、生命の樹の構想を語っている映像を見たことがあります。記憶が曖昧なのですが、70年の万博に向けた会議か会見のような場で、「人間もサルも、プランクトンも、元を辿れば単細胞であり、細胞というレベルで見れば皆同じなんだ!」という趣旨のことを太郎氏が叫んでおり、周囲からクスクス笑い声が起こっていました。嘲笑ではなく温かい笑いではありましたが、正しいと思うことを真剣に話しても、時代や場所によっては笑われることがあるのだな、太郎氏は孤独だったろうなと思わずにいられませんでした。
(「生物は細胞というレベルで見れば皆同じ」というここでの話は、詳細はともかく現代の生物学に携わる身としては、違和感なく受け止められました。皆さんはどう感じられたでしょうか。)

万博記念公園は、70年の万博の終了後にほぼ全ての建物を撤去して元の森林に還すという、世界に類のない規模の自然再生が行われた場でもあります。50年経った森は、現在も生態学的なモニタリングが行われており、万博公園の隠れた名所になっています。別の時、作家である友人と、再生した森の空中通路を歩きました。森の向こうにぽつんと立つ太陽の塔を、彼は「孤独だなぁ!」と評しました。友人としては、自分の生き方や考え方を貫くことは孤独を意味するようで、「45歳までは太郎さんがライバルだ」などと一人つぶやきながら、ともかく表現者として人として、圧倒的に孤独でいる覚悟を決めたようです。私は本能的に独りきりに恐怖を感じるので、それを勇気ととらえる考え方は新鮮で、救われる気さえしました。彼の孤独を邪魔しないよう共に生きて、行く末を見届けるぞ!という不思議な力が湧いてきました。

友人は関東に住んでおり、帰りに東京の明治神宮の森の話になりました。あの森も近代に作られたものだけれど立派ですよね、でも今、公共事業のためにその森を切る話があるらしいですねと言うと、彼は「『死にてぇのか!』って感じだよね」と言い放ちました。誤解なきよう補足しますと、この場合の死は生物学的な意味の死ではなく、「心を殺す」といった比喩としての死です。森を切ると言えば、生物多様性の保護や都心の緑の心理的効果、教育的な意義など、さまざまな論点から反対の声が上がるでしょう。けれど彼のたった一言は、(言葉遣いは悪くとも)細かい論点を超えた正しさを守ろうとする生身の叫びとして、何より痛快に響きました。そして思わずどっと笑ってしまったのです。自分(たち)の大切にしてきたものを、いつの間にか自ら踏みにじろうとした時、「死にてぇのか!」と言って止めてくれる人がいたら嬉しいだろうな。勇気を出して、太郎氏のごとく尊敬する友人をこの場に誘って良かったと思いました。

森を切ってまた森に戻す行為も、わざわざ作った森を切る行為も、長期的に見れば合理的でも効率的でもありません。しかし、前者(70年万博の取り組み)にはロマンと挑戦の意志が感じられます。科学という活動は、いかに未来を正確に予測できて、それが社会の役に立つかが問われますが、本当は、科学は人間の自由も孤独も邪魔することなく、むしろ次のロマンと挑戦に駆け出させていくもののはずだ。私が目指すべきはそういうことなのだという気持ちを新たにしました。