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研究館より

表現スタッフ日記

2023.08.16

熱帯びた魔物

夏ですね。関西の夏は暑いと聞いたので覚悟はしていたのですが、暑いのも寒いのも大雨もガーっとした気候が大好きなので暑いながらも嬉しいです。川、入道雲、たくさんの生物。これ以上ないくらい夏ですね。生き物に手を差し伸べるとただ僅かな水分か脂を求めてするりと乗ってきます。私は何か愛おしい生き物を目の当たりにした時私はつい触ってみたりつついてみたり、手の上に乗せてみたくなります。しかし、私たちが触れるとひやり冷たいと感じる幼虫の体表も、彼らにとっては熱く苦痛に感じているのかもと想像してしまいます。
『接吻』 / エドヴァルド・ムンク
1897年 キャンバスに油彩 ムンク美術館 蔵
 
生き物との距離感を考えた時に私が思い出すのはこちらの作品です。上記は「叫び」で有名なムンクの「接吻」と言う作品です。ムンクは生や死、愛などに対する恐怖心や不安を表現し続けていました。「接吻」は生涯を終えるまでにムンクが油彩や木版など素材や技法を変えながら繰り返し取り扱ったテーマの一つです。5年ほど前のムンク展でこの作品群を見た私は、自と他の熱が均等に融け合うような描写を試みるムンクに心惹かれました。この作品の解釈は十人十色だと思うのですが、私が印象に残ったのは「愛とは個の喪失である」というキャプションです。見た当時はいまいちこの言葉がうまく噛み砕けず、喉に刺さった小骨のように引っかかっていました。

ちょうどその頃にの大学の研究室で寄生蜂の教授が「培養で大事なこと、それは愛だよ」とお話され、真面目な話をしている最中だったことも相まって素っ頓狂な言動にぽかんとなりました。今考えるとin vitroでの培養が上手な人は丁寧な技術とは別の物を持っていた気がします。研究室にいない時にも培養フラスコを気にかけること、フラスコに触れることで胚子に物理的な干渉をすること、その変化を記すこと、これら全ては偏ることなく程よい塩梅の中庸が大事であること。それらの思考が日々の生活に融け込むことが愛であり、技術より大事であると伝えかったのだろうかと漠然と思い返します。

私はもう科学に関わる身で実験をする機会は殆どないのだろうと思いますが、好きなものに触らないまま関わる方法はきっとたくさんあるんだなと思いつつ、どうやったって自分の手には入らないものをせめて自分の行き場のない気持ちをこっそり染み込ませつつ大切にキャンバスに描きうつしたいと願います。耳に手を当てると聞こえる自分を恒温に保とうとする熱の音は、小さな生物には魔物のように感じられるかもしれないという想像力を持ちながら。

『熱片』