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研究館より

表現スタッフ日記

2025.05.15

3/26 - 6/23

今から80年前のこの約3ヶ月間に行われたのが「沖縄戦」です。5月の今頃は戦火の中ですが、とりわけ沖縄県以外では、沖縄戦についてはあまり知られていないのではないでしょうか。慶良間(けらま)諸島に米軍が上陸したのが3/26で、組織的な戦闘が終了したのが6/23。この日付を記すことから、今回の日記を始めたいと思います。

私はしばらく沖縄で暮らしましたが、ライフワークのひとつとなったのが、沖縄戦の証言を読むことです。大人になるにつれて、良心的な人間像では説明のつかない物事が増え、「人間とはどんな生きものなのか」を問わなければ先に進めないと感じています(こうして当館に勤めているのもその一端なのかもしれません)。私の二足のわらじ、研究と表現活動のどちらにとっても、大切な問いです。これまで良心的な人間像を信じてこられたのは、良心的な教育に恵まれたということでもあるのですが、この問いへは、実例に即した事実で答えなければなりません。身構える私に沖縄戦の証言者たちは、具体的な言葉をかけてくれるのです。日本で唯一の地上戦で、人間はどのように振る舞ったのか。例えば、壕*の中の日本兵という立場でも(状況は様々ですが)、泣き止まない子供を殺す者や、食事のイモが小さいと軍刀を抜いて暴れ回る者、トイレ以外には出て行かず引きこもる者、慰安婦の女性と恋に落ちる者、戦争が終わったらスズランの花を送ってあげようと看護学生に感謝する者、がいるのです。証言を読むほどに、「人間とはどんな生きものなのか」の実例が積み上げられていきます。

また、度々見られるのが、「戦争は繰り返してはならない」という一文です。飢えることも砲弾が飛んでくることもない時代に生まれ育ち、常識や格言のようにしか捉えきれない私に、「分かる」感覚を与えてくれたのが、次の2つの証言です。いずれも戦闘で失った子供の遺骨を探す母親の姿を伝えています。ある母親は、この辺りで亡くなったのだろうと遺骨の代わりに小石を4個拾って帰り、またある母親は、アダン(南西諸島に生育する常緑樹で縁に鋭いトゲがある)の葉で指先を傷つけ流れる血を何体もの遺骨に落としていくのです(身内の骨には血が染み込むという伝承があったのだそうです)。ああ、そうか、だから戦争はダメなんだ、こういうお母さんが残されるからダメなんだな——と「分かった」ような気がしました。現在の沖縄でも、道端には石がごろごろしていますし、海岸ではアダンが勢いよく茂っています。小石を拾い上げたり、アダンをかいくぐる小さな女性の姿を想像することは、誰にでもできます。今も変わらない風景をたどることで、「戦争は繰り返してはならない」という遺言は、私たち自身の願い事になっていくのかもしれません。

* 日本軍の陣地や野戦病院、住民の避難場所などに使用された地下施設。人工的に掘られたものを壕、自然洞窟をガマと呼びますが、ここでは区別せず壕とします。戦場は軍人と民間人が混在し、同じ壕に居合わせることも多くありました。