表現スタッフ日記
2025.06.29
「想定外」だった「生命誌研究館」
「⽣きていることの素晴らしさを讃えるような科学を」 これは、JT生命誌研究館初代館長岡田節人先生(1927-2017)の言、より正確には、生命誌研究館の準備が進められている1992年に、翌年スタートする生命誌研究館の館長就任を引き受けた岡田節人先生による館のキャッチコピー?! として即興で語られた、言です。 そもそもの生命誌研究館設立の構想(当時の思い)については、生命誌の提唱者である中村桂子先生(現名誉館長)のまとめたレポート『生命科学における科学と社会の接点を考える―生命誌研究館(Biohistory Research Hall)の提案』(NIRA研究叢書 NO.890039・1989年07月10日・ISBN4-7955-7429-4)に詳しいので是非それをご参照ください。今、このタイミングで、何故、私が、この話題に触れるかと云えば、〜 創立から30年を経た当館の活動を、如何に、映像で語り得るか? 〜 という課題に取り組んでいる映像表現に向けて、過去資料を調べている中で出会った一つの記録映像に触発されてのことです。
それは、放送大学の前身である放送教育開発センターの「人物ライブラリー・学術の記録」シリーズの一つとして企画された「生き物はしなやか」(1992年)という60分ほどの番組で、この番組制作に携わった長谷川利彦ディレクターによる詳細なレポート「岡田節人篇の開発・制作について」も一般に公開されています(放送教育開発センター研究紀要第11号(1994年))。この番組は「人物」を通して多様な「学問分野」を映像で語るシリーズで、生物学・生命科学分野を語る人物として岡田節人先生をフォーカスされたようです。長谷川ディレクターのレポートを読むと、私も、表現する当事者として制作過程の繊細な紆余曲折の冒険譚にたいへん共感するのですが、面白いのは、当初、発生生物学パイオニアの人物伝として企画された番組のインタビュアーに最適な人物として選ばれたのが、なんと中村桂子先生であったこと。この企画段階では、「生命誌研究館」の構想は誰も知らなかったのに! ですよ。 で、中村先生と岡田先生との語り合いですから、「生命誌研究館」の話題に自然な形で流れ込んでゆきます。これはほんと、良質のコンテンツ、最良の成果、を求めるプロダクション当事者として、臨機応変な現場判断、さらに、撮影した素材が語る内容に耳を傾けて、「今、何が大切なのか? 未来へ、何を伝えたいのか?」という観点から、企画時点で「想定外」だった「生命誌研究館」の構想を、記録映像の中へうまいこと畳み込んだ(シャペロンのように?!)、更にその紆余曲折の制作過程を、次世代制作者への語り継ぎの記録として残された長谷川利彦ディレクターへ敬意を表します。
1992年の新春、伊丹市の柿衞文庫のテラスでとても楽しそうに談笑する二人の会話、そして、生命誌研究館のミッションを、今、その映像を見ることができる私たちの心に響く、オーラルな声、生きいきした表情として、直接伝えることのできる映像記録を残してくださったことに、私は勝手に、研究館を代表して、心から感謝申し上げたいと思います。
そのような映像の引用、力を借りながら、「生命誌のこれまで、今、そして、これから」を伝える映像作品を! と今、取り組んでいるのですが果てさてどうなりますか、もう少々、お時間を頂戴したいと思います。ここで触れた「原点」について、今、勝手に映像をお見せすることはできませんので、以下、1992年の岡田先生と中村先生の会話を、生きた声でなく文字への転写ですから(書き言葉で)どこまで、何が伝わるか、単なる「情報」として右から左へと流されてしまうのではないかと、甚だ心許なくはありますが……今、できることとして、少々ここへ書きしるします。これらの文字列が、お読みいただく幾人かの方々のお心に触れ、何がしか、それぞれの内発的な世界観の広がりを得る きっかけとなることを願って。
==
(岡田)中村桂子先生ご自身が「生命誌研究館」を作るというすごいアイデアを持ってこられまして……(笑)。
(中村)これは、先生しか(館長を)やっていただけないと思って(笑)。
(岡田)これは素晴らしいことで、世界的にもない企画です。生きもの研究の面白さを一般の人に見せる。エンジョイしながら参加する。文化にする。科学をそういう風に活かしていくという…これは中村桂子さんの素晴らしいアイデアでありまして……。
( 中略 )
(岡田)科学の文化活動としての純粋な研究とは何か? 地球上に、かくも多種多様な生物がいる。多様な生命の分子的な基礎、DNAの歴史の中にそういうふうなものが、我々見つめることができるか、というようなことを大いに研究してみてー「科学の研究の文化活動」として、みなさんと一緒に楽しみながら考えたい。
==
最後には、長谷川ディレクターのレポートから結びのコメントを、是非ともお読みいただきたくここに引用させていただきます。JT生命誌研究館が、皆さまから、今も、このように期待されていることを願いつつ。
「ゲーテを語り、マーラーを聴く生命科学の第一人者。『科学は文化であって、テクノロジーとは違う。』という言葉が素直にわれわれの耳に入る稀有な自然科学者。こうした岡田先生の今日の姿を生み出したものは、関西地方の商家が、何代にもわたって蓄積してきた文化を創造する力、すなわち町衆の伝統の力のようなものではないだろうか。
今、岡田先生は生命誌研究館設立という、世界に類のない新しい事業に取り組まれようとしている。科学がともすれば応用に傾き、実利の面ばかりからのみ注目されるこの国にあって、『科学を文化として捉え直す』この試みが、岡田先生という最高の適任者を得て、この国に科学文化の花を咲かせることになることを期待せずにはいられない。(稿了)」 ー 長谷川利彦 ー
それは、放送大学の前身である放送教育開発センターの「人物ライブラリー・学術の記録」シリーズの一つとして企画された「生き物はしなやか」(1992年)という60分ほどの番組で、この番組制作に携わった長谷川利彦ディレクターによる詳細なレポート「岡田節人篇の開発・制作について」も一般に公開されています(放送教育開発センター研究紀要第11号(1994年))。この番組は「人物」を通して多様な「学問分野」を映像で語るシリーズで、生物学・生命科学分野を語る人物として岡田節人先生をフォーカスされたようです。長谷川ディレクターのレポートを読むと、私も、表現する当事者として制作過程の繊細な紆余曲折の冒険譚にたいへん共感するのですが、面白いのは、当初、発生生物学パイオニアの人物伝として企画された番組のインタビュアーに最適な人物として選ばれたのが、なんと中村桂子先生であったこと。この企画段階では、「生命誌研究館」の構想は誰も知らなかったのに! ですよ。 で、中村先生と岡田先生との語り合いですから、「生命誌研究館」の話題に自然な形で流れ込んでゆきます。これはほんと、良質のコンテンツ、最良の成果、を求めるプロダクション当事者として、臨機応変な現場判断、さらに、撮影した素材が語る内容に耳を傾けて、「今、何が大切なのか? 未来へ、何を伝えたいのか?」という観点から、企画時点で「想定外」だった「生命誌研究館」の構想を、記録映像の中へうまいこと畳み込んだ(シャペロンのように?!)、更にその紆余曲折の制作過程を、次世代制作者への語り継ぎの記録として残された長谷川利彦ディレクターへ敬意を表します。
1992年の新春、伊丹市の柿衞文庫のテラスでとても楽しそうに談笑する二人の会話、そして、生命誌研究館のミッションを、今、その映像を見ることができる私たちの心に響く、オーラルな声、生きいきした表情として、直接伝えることのできる映像記録を残してくださったことに、私は勝手に、研究館を代表して、心から感謝申し上げたいと思います。
そのような映像の引用、力を借りながら、「生命誌のこれまで、今、そして、これから」を伝える映像作品を! と今、取り組んでいるのですが果てさてどうなりますか、もう少々、お時間を頂戴したいと思います。ここで触れた「原点」について、今、勝手に映像をお見せすることはできませんので、以下、1992年の岡田先生と中村先生の会話を、生きた声でなく文字への転写ですから(書き言葉で)どこまで、何が伝わるか、単なる「情報」として右から左へと流されてしまうのではないかと、甚だ心許なくはありますが……今、できることとして、少々ここへ書きしるします。これらの文字列が、お読みいただく幾人かの方々のお心に触れ、何がしか、それぞれの内発的な世界観の広がりを得る きっかけとなることを願って。
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(岡田)中村桂子先生ご自身が「生命誌研究館」を作るというすごいアイデアを持ってこられまして……(笑)。
(中村)これは、先生しか(館長を)やっていただけないと思って(笑)。
(岡田)これは素晴らしいことで、世界的にもない企画です。生きもの研究の面白さを一般の人に見せる。エンジョイしながら参加する。文化にする。科学をそういう風に活かしていくという…これは中村桂子さんの素晴らしいアイデアでありまして……。
( 中略 )
(岡田)科学の文化活動としての純粋な研究とは何か? 地球上に、かくも多種多様な生物がいる。多様な生命の分子的な基礎、DNAの歴史の中にそういうふうなものが、我々見つめることができるか、というようなことを大いに研究してみてー「科学の研究の文化活動」として、みなさんと一緒に楽しみながら考えたい。
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最後には、長谷川ディレクターのレポートから結びのコメントを、是非ともお読みいただきたくここに引用させていただきます。JT生命誌研究館が、皆さまから、今も、このように期待されていることを願いつつ。
「ゲーテを語り、マーラーを聴く生命科学の第一人者。『科学は文化であって、テクノロジーとは違う。』という言葉が素直にわれわれの耳に入る稀有な自然科学者。こうした岡田先生の今日の姿を生み出したものは、関西地方の商家が、何代にもわたって蓄積してきた文化を創造する力、すなわち町衆の伝統の力のようなものではないだろうか。
今、岡田先生は生命誌研究館設立という、世界に類のない新しい事業に取り組まれようとしている。科学がともすれば応用に傾き、実利の面ばかりからのみ注目されるこの国にあって、『科学を文化として捉え直す』この試みが、岡田先生という最高の適任者を得て、この国に科学文化の花を咲かせることになることを期待せずにはいられない。(稿了)」 ー 長谷川利彦 ー
村田英克 (研究員)
表現を通して生きものを考えるセクター