1. トップ
  2. 語り合う
  3. 研究館より
  4. すべてわかっている?

研究館より

中村桂子のちょっと一言

2025.09.17

すべてわかっている?

生命誌では、「人間は生きもの」という視点から「自然と機械」を見ています。自然はわからないことだらけですが、私たちもその一部ですから、なんとなくわかったり、感じたりしながらそこで暮らしてきました。果物を見れば、なんとなく美味しそうと感じて食べてみる。そんなことの積み重ねで、わからないところのあるままに家を造り、農耕を始めるという形で、人間独自の暮らし方をつくってきたのです。

その中で生まれた科学は、自然の中のわからないことを調べ、その知識をもとに科学技術を生み出して、現代社会をつくってきました。機械の特徴は“すべて知っている”ところにあります。自動車も飛行機も身近な家電製品も、メカニズムがわかっているので安心して使い、故障も直せるのが機械です。

自然界はわからないところだらけですが、私も自然の一部なのだから感覚でわかる。人工世界は私とは異なる存在だけれど、頭でわかっているのできちんと使いこなせる。これまではこのような世界で暮らしてきました。

ところがそこに「BLACK BOXだらけの人工世界」が登場しました。コンピュータ、そしてAIです。これまでは、「このように考えてこのように調べたら、このようになっていることがわかりました」、「なるほどそうですね。すばらしい」ということでした。今は突然「これが答えです」とデータをつきつけられ、その意味はわからないけれど「なんと早く答えが出たことか」と有難がるのです。

「BLACK BOXだらけの人工世界」をつくったら危険だと私は思いますが、この議論がありません。宗教学者が雑誌に、「AIは人間の知性ではとても及ばない高度な知性であり、AI社会とは、人間が知性の面でAIの下に位置付けられる社会だ。AIの下で劣等感と無力感に苛まれながら生きなければならない」と書いているのを見てびっくりしました。人間とは何かと問うことなく、AIに対する劣等感を語っているのですから。宗教学者は、この宇宙で40億年という時間をかけて生まれてきた人間を見ず、AI技術者は「AIでなんでもできる」と豪語する世の中。恐ろしいと思うのですが。

子どもの頃は自然と遊ぶのが当たり前だった私たちは、気づかないままに自然への感性を持っていますが、生まれた時から傍にスマホがあり、「何でもできるAI」と信じている技術者が作った社会で育ったら、「生命誌」って何を言ってるのということになるでしょう。やはり恐いです。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶