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研究館より

表現スタッフ日記

2025.11.05

はじめまして!

今年の6月から表現セクターの仲間に入れて頂いた永井留美子です。1993年10月にJT生命誌研究館が開館。その年の3月に高槻に転居して来ました。

あざやかなグリーンのジャケットにイモリのブローチをつけたダンディな初代岡田節人館長を駅前でおみかけしたり、講演会で中村桂子名誉館長に、著書にちゃっかりサインを頂いたり、オサムシとイチジクコバチの講演会に参加したりと、年季の入ったファンです。

もともと関西出身ですが、転勤族であちらこちらに居を移し、東京多摩地区ースタジオジブリのアニメ作品「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台の近くに住んでいました。

住んでみて、土が真っ黒なのにびっくりしました。

赤毛のアンがプリンスエドワード島の道を見て「どうしてこんなに道の土が赤いのか?」と疑問を投げかけたように「どうして公園や畑の土が黒いのか?」「関東ローム層なのかしら?」。思いをそのままに時は流れ、ある時図書館で『大地の五億年』*というタイトルに惹かれ読むと、赤毛のアンと私の疑問の両方が解けました。プリンスエドワード島は4億年前、南半球の赤道近くに位置し熱帯環境を経験、その時に赤い鉄酸化物を含む熱帯土壌が形成され堆積し、赤道を渡り、2億年ほどかけ現在地へ移動したようです。大陸移動は、大陸を載せたプレート自体が動くと言うプレートテクトニクス理論により説明できるそうです。

さてわたしの疑問だった”黒い土”ー黒ボク土は、一万年前の縄文以降の人の火入れにより草原的環境が維持される中で生成されたと考えられているようです。多摩ニュータウンを造成する時、長さ1.5m、深さ2mほどの穴が約1万5千個も見つかっていて鹿や猪を狩猟するための仕掛と考えられていて、野焼きによって良質な草原を維持する慣習は現在も一部地方に残っているそうです。

高槻には今城塚古墳を始め多くの古代の遺跡が研究・保存されていて、すっかり考古学にはまりました。古墳時代から弥生時代、縄文時代へと関心を向けていくと、人類はどこから来たんだろう?その時地球はどんな状況だったんだろう……。

あれ?これってまさに生命誌かも。今は”土””歴史”寄りですが、”生命誌”に近づけるよう学び、美しく楽しい表現が出来るよう努力します。ご協力お願いします。


*『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』 藤井一至著 ヤマケイ文庫(2022年)

永井留美子 (展示案内スタッフ)

表現を通して生きものを考えるセクター