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研究館より

ラボ日記

2020.12.01

発言を慎重にするのは詳しく知っているから

研究活動が休眠状態

2020年4月に政府の緊急事態宣言を受けて、生命誌研究館は完全在宅勤務体制になりました。永田館長が就任して、最初の発令でした。
実験系の研究者にとっては、研究室に行けないとできないことだらけです。何より、研究材料であるアゲハチョウたちを育てなくてはなりません。幸い、二日に一回、各ラボのメンバーから一人だけ、公共交通機関を使わないで通勤できる場合に限り、最小限の飼育作業を行うための出勤が認められました。
このような勤務体制がどのくらいの期間続くのか不明でしたし、通常の勤務が再開された後もCOVID-19の感染状況によっては在宅勤務への切り替えが繰り返される可能性も考えられました。
そこで、飼育しているアゲハチョウ(ナミアゲハ・クロアゲハ)を休眠させて、生きた状態で長期保存できる体制にしようと考えました。

研究材料のアゲハチョウを休眠させる

昆虫の休眠というのは、「変温動物なので寒い時期に発育できなくて停止してしまう」という消極的な活動ではなく、内分泌機構の制御によって代謝活性を限りなくゼロに近づける生命活動です。休眠する発育段階は昆虫によって色々ですが、アゲハチョウの場合は蛹で休眠します。一度休眠に入った蛹は、一定期間の低温を経験しないと次の発育段階には進みません。アゲハチョウの場合は、休眠蛹を発育適温(25度)に置いたままにしてもほとんどの個体が羽化しないのです。時々3週間くらいでうっかり羽化する個体がいて、お茶目さんだなぁと思います。でも、このお茶目さんは交尾相手がいないので、子孫を残すことはできません。
ここからも解るように、休眠することで一旦全ての個体の発育が停止して、寒い冬を越して春に暖かくなったらまた一斉に発育を再開することで、成虫が出る時期を揃えて交尾相手が見つかる可能性を高めるために冬の寒さを利用しているのが、昆虫の休眠というシステムなんですね。そう、昆虫の休眠=季節変動への適応なのです。よくできた仕組みですね。
ちなみに、アゲハチョウの仲間を休眠させるには、初齢から三齢くらいの幼い幼虫を短日条件で飼育します。例えば、飼育室の明かりをつけている時間を8時間にし、照明を消して暗くしている時間を16時間にします。論文などでは8L/16D(8時間照明/16時間暗黒)といった表記をします。幼い幼虫たちは1日の中の暗い時間の長さを計って、閾値より長い場合は冬の到来が近づいていると判断して発育プログラムを休眠に切り替え、まだ暖かいうちに越冬できる体制を整えるんです。素晴らしい知恵だと思いませんか?

7月からは生命誌研究館も完全に通常の勤務体制に戻って、実験活動も再開されています。それで、休眠させて低温室に置いたクロアゲハを研究に使おうと思って、飼育室に戻したところで困ったことが起こりました。

羽化しないクロアゲハ

ナミアゲハの休眠蛹は、冷やしておいた状態から温めたらほぼ問題なく羽化します。若干出遅れるのんびりさんな個体が混じっていたりしますが、基本的には一斉に羽化します。よしよし、偉いね〜、って感じです。僕が学生時代に研究材料として使っていたアメリカシロヒトリも同様に、休眠から覚めて一斉に羽化します。モンシロチョウは休眠消去後の羽化に若干のばらつきが見られるということがよく知られていますが、それでも交尾相手が見つからないというほどにはならないものです。
ところが、クロアゲハは羽化のタイミングがバラバラでした。休眠していない場合には、ナミアゲハと同様に25度では10日ほどで羽化しますが、休眠蛹は低温室から25度に移してから3週間近く経って最初の1個体が羽化し、その後も少し時間をおいて気まぐれに羽化する個体が現れるという状態で、ごく少数の割合でしか交尾をさせることができませんでした。アゲハチョウの仲間は近親交配に弱いので、このままでは累代飼育することができません。
困った時にはいつも、伊丹市昆虫館の皆さんに助けていただいておりますが、今回もお世話になりました。飼育中のクロアゲハを数個体譲っていただきました。その時に担当者さんのお話をうかがったら、伊丹市昆虫館でも同様にクロアゲハは休眠消去後の羽化がバラバラで、飼育の調整には使いづらいとのことでした。

未熟者だから自信たっぷり

完全にテングになっていました。僕は学生時代の研究テーマが昆虫の休眠に関することでしたし、恩師が昆虫の季節適応と休眠に関する研究の大御所だったので、それなりに詳しいつもりでいたのですが、休眠の消去と成虫の羽化についてまだまだ知らないことがあったのだと気づいた出来事でした。クロアゲハの飼育を完全にコントロールするには、まだ足りない知識があるということです。
今後は休眠について何か発言をするときは、何でも知ってるぜぃ!という態度は消し去って慎重になると思います。だって、休眠についてまだ知らないことがたくさんあるということを知っている訳ですから。

科学者は知識が増えるほどに物言いが慎重になる

研究者が自分の研究に励むほど、科学や人類の叡智なんてモノはまだまだだ未成熟なのだと理解する経験を沢山します。自分の研究で新しい知見を数多く見つけたとしても、そこが到達点ではなく次への過程でしかないと知っています。科学の世界では、長年事実だと信じられていたことが、新しい発見によって覆ってしまったという出来事があったことも知っています。専門家として、自分の研究分野については誰よりも詳しく知っているからこそ、まるで全てを知っているかのようにキッパリ・ハッキリと断言するということは避けて、「現時点ではこう考えるのが最も妥当である」という言い方をする傾向が強くなります。
テレビ等で研究者が何かを解説する時に、断言を避けて「〜と考えられます」とか「〜である可能性が高いです」といった言い回しをしているのを見て、なんだか頼りないなぁと感じる人がいるかもしれません。これは責任逃れで言葉を濁しているとか、逃げ腰でそうなっているのではなく、誰よりも詳しいからこそ断言するのは難しいと解っているということなのでしょう。
逆に言えば、知識が少ないからこそ、完全に理解しているつもりになってキッパリと断言できてしまうのかもしれません。
 

アゲハチョウを研究材料として、様々な生き物がどのように関わり合いながら「生きている」のか、分子の言葉で理解しようとしています。