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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【美が基本】

2002.1.15 

中村桂子副館長
今年の活動の始まりの一つとして、アーティスト内藤礼さんとの出会いがありました。1997年、ベニス・ビエンナーレに「地上にひとつの場所を」を出品して話題を呼んだ方です。その特徴は繊細なオブジェが配置された白いテントの中に一人ずつ入り鑑賞するというものです。作品を見る、見られるという関係に置くのではなく、作品と人とが一体となってある場所になるということになるわけです。
内藤さんが、今回瀬戸内海に浮かぶ直島にある、コンテンポラリーアートミュージアムの企画で、島内の廃屋を一つの作品になさいました。一つの家全体を用いた「このことを」という作品もその中に一人だけが入るというものです。詳細は、後でまとめるつもりですのでその時に。
この欄にも載せようと思いますが、内藤さんの基本は「どのようなものでもそこに存在することが祝福される」というところにあります。役に立つとか、どんな意味があるかと問うまえに、そこにあることそのことだけでもスゴイでしょという見方は「生命誌」と重なります。バクテリアとバラの花と人間とを並べてあれこれ比べるのでなく、一つ一つの生きものがその姿で、その生き方をしていることそのことが、時にふしぎであり、時に大きな重みをもち、時にバカバカしく"とにかくそのことだけでいいでしょというのが「生命誌」ですから。
価値の多様性が言われ、正義もアメリカの正義、イスラムの正義とある中で、皆が共有できるものは「美」ではないか。最近強くそう思います。現代美術の中でも、「美」などと言うと何を甘っちょろい、意味は何なのだと問われてきたのだそうですがやはり美しいことが基本だと思うと内藤さんもおっしゃっていました。最初に紹介したような「この地上に存在していること自体がそれだけで祝福、感謝、恩寵であるかどうかを知りたいから作品をつくる」ということは、一番単純なようで一番基本的な問いを問うことになります。
生命の研究も本当は、同じ問いをもっているのだと思います。 生命科学の時代という言葉のほんの端っこにでもよいからそんな感覚があるようにと願っていますが、あまりそんな風には思えないのが気になります。


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