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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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情報としての言語

2017年10月2日

これまで、言語誕生過程を構想するために7回にわたって言語の重要な特徴について見てきたが、先に進む前にここで少しこれまでのまとめの意味で、情報媒体としての言語の性質を同じ情報媒体のDNAと比較しながら見ることにする。

1、情報は受け手で決まる

現代は情報の時代で、私たちはどこにいっても情報と情報機器に囲まれ、情報なしに生きることはできないと感じている。職場への行き帰りを考えてみよう。時計が指す時刻に合わせて家を出る。駅では次の列車の時間や行き先をみて、遅れや変更がないかを知り、正しい列車に乗る。列車の中を見渡すと、新聞を読んだり、本を読んだり、あるいはタブレットでビデオを見たりしている人もいる。私はといえば、窓の外の景色、時間、車内のアナウンスなどを情報に、目的の駅に降り立つ。駅から職場までの道では、信号の色の指示に従って交差点を渡る。もちろん、信号無視の車が突っ走ってこないかも気をつける。このように私たちの行動のほとんどは、街にあふれる情報に依存して判断していることは間違いない。

半日の行動を思い返して考えてみて、私たちは何が情報で何が情報でないか判断に困ることはない。ところが、私が情報として利用しているものを、抽象的に定義しようとすると簡単ではない。というのも、掲示板の文字も、信号の色も、さらには窓の景色も、すべて職場に通う私には情報になる。一方、視覚障害の方にとっては、窓の景色も、信号の色も、掲示板の文字ですら情報としての価値を持たない。逆に、歩道の凹凸は視覚障害者には重要な情報だが、障害者でないと気にもならない。このように、何が情報かどうかは、それを必要としている受け手に依存している。そして何よりも、世の中のあらゆるものは、受け手によっては情報になりうる。

もちろん受け手だけが情報を決めるのではない。一般的に私たちが情報と認めるものの中には、出し手が情報としての性質を決めているものも多い。例えば、信号や掲示板の情報は、私が利用しなくとも、誰かの情報として提供したいという出し手の意図がある。もちろん、この原稿と同じで、出し手の情報としての意図が実現するかどうかは、受け手にかかっている。いずれにせよ、出し手が決める情報も、受け手が必ず想定されており、情報は受け手で決まる。

これまでの議論をまとめると(人間が受け手の情報に限ってではあるが)、情報は主に「受け手が行動する際に参考にする知識」であり、この中には「受け手の行動を変化させようと出し手が提供する知識」が含まれる。ただ、出し手の存在は必須ではない。突き詰めると、情報とは受け手の行動のための判断に使われる知識と定義していいだろう。

2、情報は物質ではないが、働くために情報媒体(物質)が必要

図1 クロードシャノンと、彼の課題をまとめた図
シャノンは、情報を物質媒体として正確に伝達するために必要な方法(電線でメッセージを伝える電話)を情報理論として体系化した。(写真と図はWiki Commonsより)

次に重要な情報の特徴は、「それ自体は物理的な量ではないが、それが働くためには必ず物理的媒体を必要とすること」をあげることができる。このことを科学的に体系化したのが米国のクロードシャノンだが、情報媒体が情報と一体化しており、物質からできているので、情報にも物質性があると混同する人が多い。例えば「日本人のDNA」といった使い方がその例だろう。DNAは物質で、情報ではない。「日本人のDNA」の正しい表現は、「日本人のゲノム」だとおもう。

いずれにせよ、情報が物質でないことは少し考えればわかることだ。例えばこの文章はウェッブを通して約4千人の人に読んでもらっているが、読者に内容を紙に印刷して届けようとすると、コストも人手もかかる。これは、情報を媒体に移した途端物理量になり、その結果情報を移動させるのにも大きな物理的力が必要になる。しかしいつものようにウェッブにアップロードすると、一瞬で何千人、何万人、おそらくその気になれば億人単位の人にも同じ情報を送ることができる。これは情報がより分配しやすい媒体(デジタルパケット)に移されたからだが、情報の内容は同じだ。この媒体を選ばない特徴は情報に物質性がないからこそできる芸当だ。

この例では、私が伝えたかった内容(これも私の頭の中の神経ネットワークのパターンとして媒体化されているが)が情報で、PCに私が打ち込んだ時点で情報は電子媒体に移され、液晶画面上の各ピクセルの色の違いのパターンとして表現できるようになっている。このパターンは、そのままウェッブを通して何千、何万のPCに瞬時に伝達できるし、USBでもハードディスクにでも残しておける。

これまで議論してきたのは人間が出し手の(例では私が出し手)情報だが、人間が出し手でない生物が持つ情報、例えば遺伝情報でも同じで、情報自体に物質性はない。またどんなに大きなゲノムでも、DNAやRNAは当然のこと、紙の上のATCGの4文字でも、また電子媒体でも、異なる媒体を使って同じ内容を表現することができる。

もちろん生物の情報には一見物質ではないかと思えるようなものもある。例えばフェロモンにより接合が始まる例では、フェロモンという物質が情報のように見える。しかし、実際にフェロモンが必要とされる状況を考えると、例えば餌が欠乏したという情報をフェロモンが伝えていると考えられることから、フェロモン分子は情報媒体として働いていることになる。

このように、頭の中で情報と情報媒体は混乱し、どうしても媒体を情報そのものと勘違いする。しかし情報は物質でない点を押さえておけば、何が情報で何が情報でないか間違うことはない。人間が出し手の情報は、数学的に記述できても物質ではない。しかし重要なのは、媒体を介して物質世界で働き、物質と相互作用できることで、これこそがシャノンやチューリングにより始まった20世紀の新しい科学革命、情報科学革命だ。

私が頭の中に浮かんだ文章を原稿としてPC上にインプットし、またメモリーにストーレージできるのも、すべてこの情報理論のおかげだ。しかし、人間が出し手でない情報、例えば遺伝情報がどう生物に利用され、脳への情報インプットがどのように記憶として残るのかオペレーション原理についてはわかっていないことも多い。すなわち、情報と媒体との関係は、生物学最大の問題として現在も残っている。

3、情報は生物とともに地球上に生まれた

異論のある人も多いと思うが、私は生命が誕生する以前の地球上に情報は存在しなかったと思っている。

しかし待てよ、物理現象を記述するためには、対象となる物質の動きや質量の情報が必須であり、この意味であらゆる分子とその動きには情報が内在しているはずだ。生物誕生以前にも物理現象は地球で続いており、あらゆる物理現象に関して情報も存在していたはずだ。だとすると、情報は生命誕生以前から存在したと言えないだろうか?

答えはNoだ。情報は受け手が決める。物理現象に情報が存在するのは、人間がそれを解釈して利用するときだけで、物理現象が情報を持つかどうかは、それを情報として利用できる受け手の能力にかかっている。人間誕生前にも天体の動きは情報として利用されていたが、それは生命誕生後のことだ。

一方、生命自体には誕生時から情報とその媒体が内在していた。この生物だけに情報とその媒体が内在し、また情報の受け手となれるという特徴により、物理世界には存在しなかった全く新しい原理が生まれたことをダーウィンは「種の起源」の最後のセンテンスで美しく表現している。

「もともと生命は、様々な力が、一握りの、あるいはひょっとするとたった一つの原型に吹き込まれて始まり、この惑星が重力法則による永遠に変わることのない回転を繰り返している間に、これほど単純な始まりから、最も美しく素晴らしい果てしない形態が進化し、また進化し続けている。このことを考えると、進化の壮大さに心が打たれる」(私の意訳)

この物理世界にはなかった進化する力を持った生命に最初吹き込まれた様々な力のひとつが、情報とその媒体であることは間違いない。

生命誕生を情報の誕生として認めると、地球最初の安定した情報媒体は核酸ということになる。では、この核酸が媒介している情報とは何か?答えは、ATCG4塩基の配列(コード)になるが、実際に核酸が媒介している情報はこれに止まらない。その先には、塩基の配列によって決まるRNAやDNAの構造や機能、アミノ酸に翻訳される場合はアミノ酸の配列、アミノ酸が形成する分子構造とその機能、さらには、その分子と結合する様々な分子、などなど情報のコンテンツは拡大する。わかりやすい例で言えば、「空」という単語の中に、太陽、月、星、そして無限の宇宙は言うに及ばず、それと反対の概念である陸までもが収束しているようなものだ。

このような媒体に無限の情報が表現されているという特徴は、生命の情報媒体全てに言えることではない。例えばフェロモンが担える情報には限界がある。しかし、核酸、脳回路、そして言語の3媒体には、このような限界は全くない。これまで見てきたように、3つの媒体とも質・量ともに無限に拡大できる。また、媒体をコピーすることができる(正確である必要はない:文字が生まれるまで言語も決して正確にはコピーできない)。さらにその媒体が表現している情報と外界との相互作用を様々なレベルで記録することができる。この特徴のおかげで、生命や人間の進化は進んできた。

4、DNAと言語の比較

DNAは情報媒体として働くために、4塩基配列をコードとして使っている。このコード自体は物質ではなく情報だが、媒体と一体化しているので、情報と実際の世界をつなぐ接点として考えればいいだろう。では、言語で塩基配列に対応するコードはなんだろう?これは人間が発声できる音の配列と言える。


図2 言語とDNAを媒体とした情報の比較

次にコードにより表現された単位が来る。言語の場合は単語だが、DNAの場合はアミノ酸からなるタンパク質だけではない。そこでとりあえず機能単位としておく。ただ、話を複雑にしないため、これ以降はアミノ酸に翻訳されてできるタンパク質が、言語での単語に相当するとして話を進める。

ここまで、なんとなく言語とDNAは似ているように述べてきたが、一つ大きな違いがある。すなわち情報の媒体の物質性だ。DNAはタンパク質に対応する情報を表現する媒体だが、この延長で言えば言語を媒介する音は情報の媒体であるのは間違いないが、物質性が希薄で、かなり特殊な媒体であるといえる。

例えば、文字が誕生するまで、言語の記録は私たちの脳内神経ネットワーク以外に記録することは難しかった。要するに、言語の体系は覚える以外、維持することは不可能だった。当然脳の記憶の仕組みから考えると、記録という面ではなはだ心もとない。しかし、以前議論したように言語の場合、個人の脳内に維持されている表象とともに、集団で共有される部分を持つ2重構造になっている。

言語の集団共通部分ではさらに物質性が希薄になる。しかし、集団で共有しているという性格のおかげで、各個人の脳内神経ネットワークの記憶の限界を補うことが可能になっている(次回もう一度議論する)。このように、文字が生まれる前の言語は、音という物質性の希薄な媒体(ほとんど持続できない)に依存しているため、この物質性のなさが、DNAとは大きく異なっていると言える。ただ、この問題は言語の2重構造を実現することで、ある程度解決している。幸い、言語媒体の抱える物質性の希薄性の問題は文字の誕生で解消する。

5、DNAも言語も、媒介する情報は部分と全体が常に一体化している。

図3 メタボリックマップと、分子ネットワーク
もともと生物学では、一つの遺伝子にコードされている分子も、大きなネットワークの中で様々な分子と関係を持って存在するとして研究が行われてきた。例えば、ある分子が加わる代謝マップに存在しないということすら情報になる。(Wiki Commonsより)

図3に代謝マップと、分子ネットワークの例を示したが、情報媒体としてのDNAから学ぶことができるもう一つの重要な点は、一つの情報は決してそれ自身で存在していないことだ。これまで、生命の情報を扱ってきた分子生物学は、どうしても個々の遺伝子に焦点を絞って研究してきた。このため、ともするとDNA媒体により表現されている情報が、特定のタンパク質についての情報であると思ってしまう。しかし、研究対象に選んだ遺伝子が一種類のタンパク質だけをコードしているとしても、その分子は生物の中で他の分子と直接結合するだけでなく、多くの分子と直接間接に相互作用を行っている。すなわち、一つの分子の情報の背景にはその分子だけでなく、多くの過程が背景として存在している。更にある細胞にこの分子が発現しているということだけではなく、例えばアルブミン分子をコードする情報には、赤血球や多くの細胞にはアルブミンが存在しないということも含まれている。結局個々の情報も、全てのゲノム情報と関連している。このことは生物学者なら肝に銘じていることで、生物のもつ部分と全体の特別な関係として研究者の頭を悩ませてきた。

しかし、言語になると、多くの人が言語体系は単語という部分が単純に集まったものとして考えてしまう。これは、多くの人が、言語とは意味しているもの(シニファン:記号)と意味されるもの(シニフェ)が一体化した記号が集まったものだと述べたソシュールの考えを鵜呑みにしているからかもしれない。しかし実際に私たちが「空」という言葉を頭に浮かべる時、決して大きな広い空だけではなく、太陽、月、星、海、陸地など同時に多くの単語を思い浮かべるのが普通だ。実際には空と聞いて、星を思い浮かべていることもあるだろうし、水平線を思い浮かべていることことすらあるだろう。このように、私たちの厖大な経験の一部を単語として記号化したのが言語で、決して記号を集めて経験を作り直しているわけではない。すなわち言語はシニフェとシニファンが一体化した記号を集めて形成されたものではない。

この点を理解するには、言語ともう一つの情報媒体、脳の神経ネットワークとの関係を見る必要がある。次回はこの問題を「言語と脳ネットワークを媒体とする情報の比較」というタイトルで考える。

[ 西川 伸一 ]

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