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みんなの広場

季刊誌

2020.10.06

どっちが自然なのかな

みるく

ヒッポファミリークラブのメンバーです。仲間が「季刊 生命誌」の内容を度々シェアしてくれています。
先日は「セロひきのゴーシュ」をみんなで(それぞれの家で)ネットで見て、感想を言い合ったりしました。
舞台美術(サンドアートやマーブリングのような表現)の美しさの話がらはじまりましたが、やがてこの話が伝えたいこと、どうして生命誌研究館でこの演目をやったんだろう、という話題になり、生き物はみんないろんなところで関係していて、大きな全体のなかでつながり、自分の血肉になっていく、ってことなんじゃないか、というところで一致しました。
そう思うと、サンドアートもマーブリング的アートもその美しさは移り流れてゆく、ある意味生きているアートなのかな、とも思いました。

今、仲間と一緒に、桂子先生の「科学者が人間であること」を読んでいます。
科学は自然の中の不思議を『どうなってるんだろう?何でそうなるんだろう?』と考えること、人間の役に立つかどうかだけを考えるのは違う、と先生がおっしゃっていることに、普段ニュースなどを見ていて感じる違和感に気づきました。
自然はすべてつながっている、人間も自然の一部。

へんな話になりますが、今回のコロナ騒ぎで、当初「人間とコロナの戦い」って言われてたときにも、なぜかすごく違和感があった。地球上でこんなにコロナにやられてるのは人間だけ?!って思ったら、どっちが「自然」なのかな?
最近の「with コロナ」ということばを聞くほうがほっとします。

これからも、生命誌館の発信を楽しみにしています。

※季刊「生命誌」「あなたの声をお寄せください!」コーナーにいただいたお便りです。

2020.10.06

1. 中村桂子(名誉館長)

「科学者が人間であること」読んで下さってありがとうございます。東日本大震災の時の思いを書いたのですがコロナも同じことを考えさせるので皆んなで考えて下さいね。

2020.10.20

2. 十勝囲碁人

犬の発話能力
私は犬を飼っているが、犬が話をするなんて知らなかった。犬種はゴールデンレトリバーで、優しい犬ナンバーワンにランクされている。
先日、川に入ったせいもあるが匂いがプンプンしていたため、息子が自宅に入るなり、「臭いから犬を外に出せ!」と言うのである。それを聞いた我が家の犬は、「自分の家なのに・・・」と息子に文句を言った。すなわち、犬の“発語能力”である。

人間には発語能力があるが、犬にも発語能力を備えていたのである。私たち人間は、それに気づいていないだけである。長い間、我が家の犬と会話をしている愚妻には、犬の言葉が分かるそうである。

なお地元新聞の“みんなの声”欄に載った、犬に関わる私の投書を参考までに載せます。
『 令和2年9月21付まちの声“犬猫のおしっこ対処の条例化を”を読み、私の考えを述べさせていただきます。何でも条例化するのは良くないと思います。なぜなら、飼い主を含めてその条例に縛られるからです。私は犬を飼っていますが、犬のことを思って十勝川の河原で何回もおしっこをさせています。犬猫の先進国では、そのおしっこの条例をどのようにしているかを知りたいものです。
大切なことは、新型コロナ禍を振り返ると動物との共生をどのように図っていくかも考えなければいけない時期だと思います。なぜなら、いま一番問題になっている地球温暖化は、“温室効果ガスで人間さまによって作られた”と犬猫は言っているかも知れません。』

私はいつも思うのだが、犬は人間を絶対に裏切らないし、人間のように嘘もつかない。犬も育て方が大切だと思う。最後に、犬の気持ちを一言。裏切るなよ! 嘘をつくなよ! 殺処分にするなよ! 人間さま、素直になれよ! 人間と犬が共存していく社会を作ることも、必要である。

2020.10.26

3. 十勝囲碁人

メラビアンの法則
「メラビアンの法則」とは、アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが提唱した法則である。矛盾したメッセージが発せられたときに、人がそれをどのように受け止めるのかということを、実験を用いてまとめたものである。

その結果、言語情報が7%、話題などの聴覚情報が38%、見た目や表情などの視覚情報が55%となり、非言語のコミュニケーションが大事であると結論づけた。

視力を失うだけでも55%のハンディを抱えることになるので、視覚や聴覚の障害を持つ人は大きなハンディと、それを補う感性等を持つということになる。

ヘレン・ケレ―は、高熱で視覚や聴覚を失い言葉が不自由となり三重苦になったが、次の言葉を残している。

「不幸のどん底にいるときこそ、信じてほしい。世の中にはあなたに出来ることがあるということを」。
「幸せの1つの扉が閉じると、別の扉が開く。しかし、私たちは閉じた扉ばかり見ているために、せっかく開かれた扉が目に入らないことが多いのです」。

また私の知人に、仏教でいう“我欲”を捨てた人がいる。我欲を捨てたことで見えてくるものがあるらしい。彼は、次のようにもいっている。
『最近、人が人を世話したり、支えたりすることは一体どのようなことか、そして人として、そこにどのような課題があるのかを考え始めました。このことは、立場が入れ替わったときにはじめて本当に気付くものです。

現在私は里山に移住し、自分が暮らし続けたい場所で豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。

これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。』

昨年、作家 柳田邦男氏の「大人が絵本に涙するとき」(~ケアする人、ケアされる人のために~)と題する講演を聞いてきた。彼は、精神を病んだ次男を自殺で亡くしているが、子供に見えても、大人の目には見えていないものがあると語っていた。

ローマの政治家 ユリウス・カエサルは、「人は見ようとするものしか見ない」と言ったそうだが、まさに柳田邦男氏やカエサルの言うとおりだと思う。
「十勝の活性化を考える会」会長
注)ヘレン・ケラー
ヘレン・アダムス・ケラーは、アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家である。
視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした。

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