その他
2026.08.25
情報のバランス
丹藤由希子
生きものにとっての情報(体の外側の情報)とは何かを考えてみると、そもそもは鳴き声やフェロモンなど、生きるために必要なものだったように思います。一方、人間が今までに編み出してきた様々な情報は、生きるために必要か否かの範疇を超えているように思われます。これらの情報のほとんどが視覚情報に頼っていることも特徴で、この偏りも気になります。
また、情報をインプットする脳のキャパシティーも無限ではないと思いますので、その限られた中で人間がつくり出した膨大な情報に触れる機会が増えるほど、例えば、いつも通る道路の樹木や虫の変化など、他の生きものや地球環境からの情報をインプットする隙間が減っていき、キャッチする情報に大きな偏りができていきます。これは、将来的には人間が生きものとして生存するのに不利な方向に働いたりはしないでしょうか。考え始めたところでうまくまとまっていないのですが、一つ気になったこととして、取り入れる情報のバランスの崩れが思い浮かびました。色々な側面から考えていきたいと思います。
2026.08.25
1. 中村桂子(名誉館長)
丹藤様
本当にお暑いですね。たんぱく質が変性しないかしらと心配になるほど。その中でお考え下さってありがとうございます。普通、情報と言えば、社会の中を行き交っている「社会情報」、最近ではその中でも機械を通した「機械情報」を考えますね。それらはおっしゃる通り、制限なく増えています。特に機械情報が。
ここには、お書き下さったように、考えるべきことがたくさんあり、これから考えていきたいと思います。生命誌では、そもそも情報の始まりは「生命情報」であることに注目し、生命の方から見ていきたいと思っています。
生きものでは、物質とエネルギーと情報が関わり合いながら事が進みます。機械情報は、生きものの中で人間だけが持つものであり、しかも情報だけが増殖していきますのでなかなか面倒です。これを生命との関わりの中でどう考えたらよいのか、ぽちぽち進んでいくことにします。よろしくお願いいたします。
中村桂子
2026.09.03
2. 玉利智子
生命を情報として、もっと言えば、数学的な数値(0と1)に置き換えられるということに対して、疑問を持っています。おそらく情報という定義についても、生命情報と数理的な情報は、あるいは違った仕組みを持つものとして考え直さなければならないのかもしれません。(例えば、西洋音楽の音符表現と和学の楽譜の表記が違ったりすることもありますし、表記そのものだけではなく、それぞれの「情報」自体が、何か違うものなのかもしれません)近代になり、科学主義のもとに、すべてが数理的に考えることが近代化や文明の証のように社会的な言説が作られてきましたが、私たちの生きている世界を把握するためには、数理的な枠だけでは、掴みきれない世界がまだたくさん残っていて、我々にはまだ見えていないのではないかと思ったりします。色々と「空想」すると楽しいです。いかがでしょうか?
2026.09.03
3. 中村桂子(名誉館長)
玉利智子さま
そうですね。今情報と聞くと反射的に0,1が頭に浮かびます。でも、それは機械情報であり、本来情報は生命情報だというところから考えませんかというのが、生命誌からの提案です。
生命情報は、生きることを支えるものであり、つかみきれない世界だらけですが、そこを自分の頭で考えていく楽しさをご一緒して下さい。
中村桂子

