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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2026.08.04

猛暑ですが、考えてみて下さいませんか

夏休みです。去年までは自然の風の中で暮らしてきましたが、37度という体温よりも高い日が続き、窓を開けると熱風が入ってくるようになりました。さすがに窓を閉めて、空調のスイッチを入れました。この家に暮らして30年以上、お客様の時以外使ったことがなかったのですが。なんだか残念です。

夏休みは、心も体も休める時ですけれど、自由な時間にゆっくり考える時でもあります。そこで少し固くなりますが、最近真剣に考えていることを書こうと思います。本を一冊書かなければならないテーマの基本のところだけ。

大学を出て、生き方を考えなければならなかった1960年代は、社会が少し変わり始めた時でした。物の豊かさと便利さを求めて、科学技術がその実現に貢献するのが進歩であり、それを良しとしていた時代への疑問が出され始めた時です。新しい生き方が必要とされました。そこにコンピュータが登場し、これからは「情報社会」だと言われたのです。脱工業社会、知識社会とも言われ、新しい時代が描き出されました。コンピュータの性能は急速に上がり、電車の中でほとんどの人がスマホに見入り、SNSで誰もが発信できる社会になりました。そして今やAIです。

一方、私が入った生命科学という分野も急速に発展し、これからは生命科学の時代だという声も聞かれました。医療などで大きな成果を上げ始め、死病と言われたがんの原因が究明され、診断、治療が進むなど、寿命は延びています。ところがそこへ突然新型コロナウイルスによるパンデミックが起き、世界中が大騒ぎ。感染症は克服したつもりだったけれど、自然は一筋縄では行かない、情報に比べて生命の世界は面倒だと実感したものです。

ところで、最近ChatGPTなどが登場し、それが人間を超える日が来るなどと言われ、突然、情報と生命が急接近を始めました。情報と生命、それぞれの科学・科学技術が進展する中で、生命の側であれこれ考えているところへの情報からの攻め込みです。どう判断したら良いのかと懸命に考えているうちに、ふと気づきました。この二つを別物と捉えてきたのが間違いだったのだということに。

詳細は省きますが、物理科学の歴史を追うと、最初対象にしたのが物質、そのうちエネルギーの存在に気づき、その研究も進みました。これで自然現象の基本法則は分かったと思い始めた研究者は、ハタと気づいたのです。未だわからないものがある。生命だ。ここで、優れた物理学者であるシュレディンガーが、「自然現象はエントロピーが増え、散らかる方向に行くのに、生命体だけは秩序を作る。負のエントロピーを食べている」と考えました。秩序があるのは「生命体には情報がある」からです。情報について考えないと、生命のことは分からないとなったのです。生命科学によって、この情報はまずゲノムにあること、その中で神経系ができ特有の情報処理が始まったことが分かってきました。

実は私は、生命誌という新しい知を創り、ゲノムを通して生きものの特徴を見てきましたが、「情報」という課題を明確に意識しては来ませんでした。生命現象を見ていくだけで面白く、「情報」という切り口の大切さに気づかなかったのです。今は分かりました。情報と生命、これは一緒に考えなければなりません。情報は生命あってのもの、それを忘れて情報社会をつくるのは、本来の道ではありません。科学・科学技術を否定するつもりはありませんが、それは「自然を知り、その中で巧みに生きる」というものであるはずですので、「情報とは何か」をよく考えてから情報社会を作らないと、とんでもないことになるのではないでしょうか。今の情報社会のありようは考え直さなければいけないのではないでしょうか。生命誌も、ゲノムを基本に考えると言いながら、「生命情報」という大きなテーマに向き合わないまま、30年経ってしまいました。

「生命と情報」。ゲノムから脳まで懸命に考えてまとめたいと思っています。良い脳トレになりそうですので、楽しみながら。 最初に書きましたように、固くて長い話になりました。でもこの猛暑とも決して無関係ではない、私たちの日常に関わる大事なことです。ぜひご感想をお聞かせください。
 

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶