生命誌について
2026.09.21
耳をすませば聞こえてくる生命の声
やっちゃん
街中の雑踏で聞こえてくる誰かの声にふと目を上に向けると、巨大ディスプレイに映し出される映像が自分に迫ってくるように見えて立ち止まることが増えました。
都会ではこのように一方的に垂れ流される言葉が氾濫しています。意味を理解しようにも、あまりのスピードで流れ去って行くので、よくわからないまま立ち去ることがしばしばです。
立ち止まって、聞き取って、自分の頭で考える。この繰り返しが今の私にはとても大切な日課となっています。
中村名誉館長の若い人へ向けた年長者からの一言は、簡にして要を得ていますね。相手の思いを聞き取ることは、対人間のみならず、さまざまな場面で重要と感じます。こんなことがありました。
「桜並木の葉が紅葉せずに枯れてしまった。こんなことは初めてだ」と切迫した表情で話された女性。長年住み慣れた地域で憩いの桜並木を知る者としてのやむにやまれずという感じが伝わってきました。枯れた桜の葉は、何を語りかけたのでしょうか?一本の木の葉が、ではなく、並木の葉が枯れた。生命体としての木の反応が枯れるということなのかな、と思いました。
人間であれば高温による熱中症です。涼しい木陰を人間に与えてくれた木は気候変動にその場で対処しながら葉を枯らすことを余儀なくされたのでしょうか。その桜並木のその後を、来年の春に花は咲くのか。この目で見ることが出来るかどうかもわかりませんが、確かに桜の悲鳴が聞こえたような気がしたのです。
2026.09.23
1. 中村桂子(名誉館長)
やっちゃん様
あの音は苦手で繁華街には行かないという選択をしています。あの音には耳を貸さなくてもよいと思って。夜になると光の暴力。これもしんどいので行きません。
1972年、初めてパリに行った時(モノ―やジャコブも参加する会でした)、夜にお店のショウウインドウに灯かりがつき、ウインドウショッピングが楽しめるようになっているのを見て、落ち着いた美しさを感じました。夜の街は、それと街灯で充分。上の方のキラキラは誰のためにあるのでしょう。
話がそれましたが、押しつけがましいものには目も耳も貸さなくてよいと思っています。一方、一見何も語っているようには見えない草や花など自然からの語りかけに気づくのは楽しいですね。おしゃる通りです。
悲鳴は、聞きたくありませんが、最近は地球のあちこちで悲鳴が聞こえますね。
中村桂子

