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Special Story

共生・共進化 時間と空間の中で
つながる生きものたち

魚の乳酸菌飲料?
─ 腸内共生細菌を活かした新しい養殖法:星野貴行

魚の中にも,たくさんのバクテリアが共生しています。魚のもっている能力だと思っていたものが,じつは体内のバクテリアの働きだった,ということもあります。それを積極的に利用しようとしている研究があります。魚の中の細菌の分析からわかったことを活かして,養殖している魚を元気にしようという試みです。生きものの共生の研究が人の暮らしに応用されている例です。


微生物屋である私の最大の趣味は釣りだ。獲物の味を楽しめる沖釣りによく出かけるが,釣りなら何でも好きで,川や湖でのフライフィッシングも下手の横好きでたしなんでいる。ドライフライという水面に浮かぶ疑似餌は,その時その場所で羽化している水棲昆虫の成虫に,水中に沈めるウェットフライは,魚が常食する水棲昆虫の幼虫に似せたものが最適だ。釣り上げた魚の胃袋の中身をスポイトで吸い出し,一番多く食べている虫に似たフライを使ったりする。昆虫の生態にも詳しくなければならないわけで,サイエンスの心が必要だ。私もサイエンティストのはしくれとして,調理の際に必ず胃袋の中を調べ,次に備えている。しかし,これは肉眼で見えるもののチェックだ。ところがある時,見えない微生物が気になり始めた。

哺乳動物では,消化管内にたくさんの腸内細菌が棲息していて(ヒトの便1g 当たり約3000億個いるらしい),消化やビタミンの供給などで宿主を助けている。乳酸菌を中心とするいわゆる「善玉菌」が腸内細菌叢そうを健全にするとの理由から,生菌を入れた乳酸菌飲料も考え出された。ところが,魚の腸内微生物については,青魚に多く含まれる不飽和脂肪酸―DHAやEPA―や,フグ毒のテトロドトキシンなどが,じつは腸内細菌の作るものとして知られているだけで,腸内細菌叢やその働きについての研究は多くない。養殖場では,高密度の魚同士の接触による細菌感染を防ぐため,抗生物質が飼料に添加されている。抗生物質を使わずに,腸内細菌叢の制御によって魚を丈夫にしてより安全な食品を得たり,魚肉の栄養価を高めてみよう。これが研究を始めた経緯だが,白状すると,魚と微生物の関係を研究して魚の誘因物質を見つけ,釣りに役立てようという下心もあった。

(左)ハクレンの長い腸。体長45cmのハクレンの腸の長さは470cmもあった。


(右)霞ヶ浦内水面水産試験場の実験用飼養池。ハクレン,コイ,マブナ,ヘラブナ,ナマズなど,多数の魚が飼育されている。
(写真=2点とも筆者)


このような次第で,当初は海の魚をターゲットにと考えていたが,研究材料の安定入手(自分で釣ってくるのでは大いに不安定),運搬や取り扱い,さらには生きた魚での研究に発展した場合の施設や設備の問題など,どれを考えてもいきなり海産魚を扱うのは困難と思われた。そこで,大学近くの霞ヶ浦に着目し,茨城県内水面水産試験場の協力を仰ぎ,まずは淡水魚で研究を始めることにした。

霞ヶ浦は古くは汽水湖だったものを淡水化した湖で,今もワカサギやウナギ,コイなどの養殖と漁獲が盛んだ。淡水化に伴い富栄養化が進んだ湖沼の一つで,最近少しは改善されたものの,今も富栄養化によるアオコ(藻類の一種)の発生が問題になっている。最初に研究材料に選んだのは,1943年にわが国に食用として移入された中国原産のコイ科の魚,ハクレンだ。フィルター状の摂餌器官をもち,緑藻,ケイ藻,ラン藻などの浮遊性藻類を食べるので,アオコ対策のためにも放流され,現在は霞ヶ浦・利根川水系などに生息している。

一般に魚の消化管は短いが,ハクレンの消化管は異常に長く,体長の約10倍もある。食べた藻類をこの長い消化管にとどめ,その間に微生物の力を借りて分解し,栄養にしているらしい。消化管が,家畜の飼料を発酵貯蔵するサイロのような働きをしているわけで,中には藻類分解菌だけでなく乳酸菌など多くの菌が存在するに違いないと考え,消化管の内容物に含まれるアオコ分解菌の検索と乳酸菌の分離という二本立てで研究を始めた。

アオコの代表的菌株(Microcystis viridis )に殺活性をもつか,その細胞壁成分だけで増殖できるかという二つの活性で検索した結果,両方の能力をもつ細菌を多数分離できた。そのうち一つは,溶菌酵素をもつことがわかり,酵素も精製できた。一方,乳酸菌は,一般的な乳酸菌培地に生育できるものが,腸内全菌数の1 %程度にもなることがわかった(哺乳動物では0.1%程度だ)。分離した乳酸菌からランダムに選んだ80 株の16SrDNA塩基配列解析で,乳酸菌叢をおおむね明らかにし,現在,生菌剤(プロバイオティクス)として利用できる乳酸菌を探すため,抗菌活性,胆汁酸抵抗性,腸管付着性などを順次検討している。

と,ここまでは比較的順調に進んできたが,問題はこれからだ。じつは,生菌を利用するための菌選定の基準に確かなものはないし,必須となる消化管内での菌の挙動や腸内細菌叢の変遷の調査は非常に難しい。それぞれの菌に特有の遺伝子を増幅するなどの方法で,菌を検出・追跡するシステムの予備実験もしているが,消化管内では微生物密度が高く(死菌も含まれる),なかなかうまくいかない。また,乳酸菌とアオコ分解菌との関係については検討できそうだが,ほかの多くの細菌も含めた全体の関係を調べる方策は未だ見出せていない。

このように,魚の生菌剤開発を目指す科学の確立は前途多難だが,現場ではすでに挑戦が始まっている。養殖場からは,飼料に微生物製剤(ただし,これは魚由来ではなさそうだ)の添加で,ハマチなどの成長が促進されるとの報告がある。理化学研究所と韓国・東南アジアとの共同研究では,魚由来の乳酸菌をヒラメやテラピアに供与する実験も行なわれている。タイ,ヒラメ,クルマエビなど,日本人が好む高級魚向け用の生菌剤が開発される日もそう遠くはないかもしれない。
 

アオコ分解菌によるハロー形成。アオコの代表的菌種の一つであるMicrocystisviridis の生菌体の上にアオコ分解菌を接種し一晩培養したもの。殺アオコ活性によるM.viridis の溶菌(色の変わっている部分=ハロー)が認められる。この活性が溶菌酵素によるものであることが明らかになりつつある。(写真=筆者)

星野貴行(ほしの・たかゆき)

1952 年三重県生まれ。筑波大学応用生物化学系教授。応用分子微生物学。枯草菌,高度好熱菌の分子育種に関する研究に従事してきたが,最近,魚の微生物学研究にも着手した。

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