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SYMPOSIUM

基調講演

世界の昆虫スペクタクル

今森光彦写真家

1.決死の覚悟と祈りで撮影に挑む

学生の頃から、死ぬまでに昆虫のスペクタクルを自分の目でできるだけ見たいと思っていました。それ以来、世界の昆虫と日本の里山環境を、並行して追いかけてきました。ですので、どこに行ったのかよく分からないんです(笑)。

2009年東京都写真美術館で「昆虫4億年の旅」という写真展を行いました。その際、担当の学芸員が、私のフィールドノートをマルサの女のような感じで洗いざらい見てくれました。そのおかげで、無くしたと思った写真も見つかり、仕事をまとめることができました。訪れた国数が48カ国と聞いた時は、少なくてショックでしたが、よく見ると同じところへ何遍も渡航していました。一番長かったのはアフリカで、4カ月間の滞在を8年間続けていました。アマゾンは6回、ブラジルエリアも6回、インドネシアは58回ほど行っていました。ヨーロッパとアメリカはほとんどありません。国数が少ないわけですね。

20代後半から40代までは頻繁に海外に渡り、半年以上日本にいませんでした。ブラジルから日本に帰国した3日後にマダガスカルに行く暮らしです。ひどいもんですね。その間はずっと、マラリアと肝炎の予防接種をしていました。ファンシダールというマラリアに優れた薬ができた時は、1週間に1度の服用で済みましたが、薬効がきつく、2〜3年でドクターストップがかかりました。医者が「まだ生きたいですか」と言うので「生きたい」と言うと「薬はやめなさい」と言うんです。実は、写真を撮ることよりも、その裏側が大変でした。

決死の覚悟で準備を整えたら、飛行機の中はほとんど祈りの時間です。頭の中は撮影のプロセスでいっぱいで、どうしたら撮れるか、どうしなかったら撮れないか、ばかり考えて過ごしたのを覚えています。インドネシアでは旅をする毎に7キロ痩せて帰りました。「今森さんは絶対肝炎に罹っているから、抗体があるでしょう」と言われますが、検査では陰性と出ます。運がちょっと良かったのかもしれません。本当によく今までやってきたなという気がします。

今日の講演では世界の昆虫について、写真集に掲載していないことも交えて、4つお話しします。

2.ラフレシア ー熱帯雨林の生態系が生かす世界最大の花

最初は世界最大の花、ラフレシアにしましょう。アジア圏に十数種類ありますが、スマトラ島の中北部に分布するものが最大で、直径が1メートル近くあります。林床の落ち葉の上にこんなふうにパカッと咲いて、たった3日間で枯れてしまいます。私が最初に訪れた20数年前は、ラフレシアの生態は謎だらけ。腐肉の匂いがして、ハエによって受粉するくらいの限られた情報しかありませんでした。

至近距離で、かつ花の内部も撮影したかったので、まず保護区の外でラフレシアが自生する場所の調査が大変でした。事前に3回ほどインドネシアに渡り、現地のWWF(世界自然保護基金)担当者と親しくなって、ラフレシア・アーノルディー(学名:Rafflesia arnoldii R.Br.)が咲く所に案内してもらいました。当然ですが、まず見つかりません。1カ月ほど経った頃に運よく大型のキャベツほどの蕾が数個見つかりました。いつ咲くか聞くと「明日かもしれないし、3カ月後かもしれない」と平気で言うんです。待つには長いので日本に戻ったら、現地から「咲くかもしれない」と電話がありました。私は、その4日後にインドネシアにいました。しかし、蕾は前と変わらない。今でも思い出すほどショックな光景でした。現地の人たちは、どうも私に会いたいから呼んだようなのです(笑)。

その後しばらく経って行った時に、別の蕾を見つけ、今度は居着くことに決めました。3カ月を最大にしてジャングルに住もうと思ったんです。6畳ほどの2階建バンブーハウスをラフレシアの蕾の上に建て、2階に隙間を作って上から覗けるようにしました。雨に濡れないようにカメラをセットし、齧歯類のネズミがラフレシアを踏み荒らさないように囲いました。WWFの担当者と、屋台の料理人にも住んでもらいました。さらに、ライフルを持った地元猟師も雇いました。見た時には殺されているというスマトラトラの生息地だったからです。過去に、日本やイギリスの番組がラフレシアの撮影に挑んだ際の敗因を調べ、対策し、さまざまな情報を集めて入念に準備しました。撮影が成功したら世界で初めてです。

花が咲いて黒く腐るまでの全プロセスを撮ること、花の断面を割って受粉のメカニズムを探ることに頭を巡らせながら、来る日も来る日も過ごしました。忘れもしない、2カ月少し過ぎた頃に、蕾の一番外の皮が1センチほどフッと持ち上がりました。あの時の身の震えと緊張は言葉になりません。感動しました。それからは5分おきに確認です。夜間は5分おきに起き続けると死んでしまうので、3人位が代わる代わる隙間から懐中電灯で照らして覗き見ました。そうして3日目、ついに1センチほど浮いた皮がフワーッと広がり1時間ほどであっという間に咲きました。手に汗握り、数分毎にシャッターを切り、黒く腐るところも撮りました。この動画のような写真は『世界昆虫記』(福音館書店1994)に見開きで掲載しています。

写真提供:今森光彦

ラフレシアは腐肉の匂いと言われていましたが、実際はツンと鼻に付く外便所の匂いで、神様に捧げるサカキの小さな花の匂いと同じでした。花の断面からハエの動きを観察すると、不思議なことに、ラフレシアはオビキンバエというただ1種類のハエだけを呼びます。始めハエは匂いのもとを探し求めて飛び回り、花の裏側に行き着くとトコトコ歩いて奥に移動しました。しかしそこに餌はなく、代わりにこってりしたクリーム状の雄しべがあります。頭に花粉を擦り付けたハエは、Uターンして外に出て行きますが、多くの場合はまた同じ花に飛び込んで、同じことを繰り返します。

花が全開すると、内部は花粉の付いたハエだらけになっています。その3日後にラフレシアが黒くなり、無臭でぺちゃんこに腐ると、ハエが一斉に飛び出します。それが遠征して離れたラフレシアが受粉するのです。3日という時間は、恐らくハエの寿命です。ハエが死なないうちにラフレシアが枯れて匂いが無くなれば、ハエも関心を失い、外に飛んで行かせられます。

ラフレシアの屍には、ゴマのような種が無数にあり、ネズミなどの齧歯類が食べて動き回り、糞をします。糞に入った種は、熱帯に生息するヒレブドウの根に落ちた時にだけ発芽できます。ラフレシアは、ヒレブドウの寄生植物だったんです。受粉をハエに、種の移動をネズミに、発芽をヒレブドウに託しているわけです。ラフレシアを人工的に咲かせようとすると、熱帯雨林の生態系が必要です。イギリスやスイスで試みているものの、まだ成功はしていないようです。

作品① ラフレンシアの内部 (インドネシア 1989年)

3.メダマカレハカマキリ ー目玉模様を見せる演出

マレーシアに生息するメダマカレハカマキリは、表から見ると枯れ葉模様で、質感と形が枯れ葉以上に枯れ葉に似ています。動かない限り、絶対と言っていいほど見分けがつきません。擬態、カモフラージュの典型です。

捕まえようと手を出したら驚いて、こんなポーズを取りました。開いた翅の模様が数字の9に見えますね。2つあるので眼状紋です。しかし、このポーズを見せることは稀で、多くの場合は、翅をそのまま上に片方だけ開きます。これは、私がちょうどカマキリの正面にいて、たまたまエネルギーのある若い個体だったという状況が見せてくれたと思います。

9の模様は、ちょうど動物の目ほどの大きさで、猛禽類の目によく似ています。これを見せられたら鳥やトカゲは怖い。しかし、眼状紋の本当のすごさは、これを見せる演出です。まず、カマキリは柔軟に向きを変えて、きちんと相手の正面を向きます。そして見せる時間が素晴らしい。ずっとこのポーズを取っていたら、本物の目ではないと見破られるかもしれません。しばらくしたらパッと閉じるので、枯れ葉に混じり識別できなくなります。あれあれ?と思っているうちに、またグラッと現れ出てくる。見事です。見せたり隠したりする間隔は虫によって違いますが、どれも相手が怖がる時間をよく知っているなと、惚れ惚れします。標本や図鑑の眼状紋の解説には、こうしたテクニックはほとんど書かれていません。生きている姿に触れないと分からないことです。

作品② メダマカレハカマキリ (マレーシア 1992年)

4.ハンマーオーキッド ーメスのハチに見事に化けた花

オーストラリアに棲むオスのツチバチがハンマーオーキッドの花に抱きつく瞬間の写真です。赤い花芯をメスと間違えたんです。花からはメスに似たフェロモンが出ているので、視覚が関わらない遠くからでもオスバチが飛んで集まってきます。匂いを頼りに近づくと、姿も似ているので見事に引っかかります。

メスには翅が無く飛べないので、オスがメスを抱えて葉の上に持って行き、交尾をする習性があります。このオスは、今まさにそれをしようとしているところ。花芯の付け根は蝶番になっていて、オスが花芯を抱えたまま飛び上がると、その勢いでパカンと真っ逆さまに倒れます。倒れた所にある花粉が、オスの背中にポコっと付くしくみです。花の柄には、なんとオスの体を受け止める受皿まであります。ラフレシアに集まるハエも背中に花粉を付けますが、虫は背中には脚が届かないので、植物にとって都合がいいんです。

オスはこの動作を何度も繰り返します。長ければ数分続くほどです。やがてメスではないと気づくと、花芯を放して飛んで行き、また別の花で行うと受粉が成立します。これを見るのは結構楽しいのですが、同じオスとしてちょっと情けなく、でも応援したくなる感じです(笑)。

作品③ ツチバチのメスに擬態するハンマーオーキッド (オーストラリア 1991年)

5.サバクワタリバッタ ー バッタではないものを見たような恐怖

日本のトノサマバッタより一回り大きいサバクワタリバッタの群れです。セネガルの国境付近のモーリタニアで撮影しました。去年もニュースになりましたが、アフリカで大発生したサバクワタリバッタが農作物を食べ荒らし、飢餓が起こります。この時は、誰も予想できない60年に1度の大発生でした。異常気象でサハラに雨が降り、急激に草が生えて餌が増えたのでしょう。

私は、日本でそのニュースを見た2週間後にモーリタニアにいました。バッタで空がほぼ真っ暗で、群れは2キロほどありました。群れの中はほとんどバッタでしたが、1匹も私の体に止まらず、避けて行きます。それがまず怖かった。さらに怖いのは、音がしないことです。さぞうるさかったでしょうと言われますが、無音でした。風に綺麗に乗って、バタバタ羽ばたきません。トノサマバッタが飛ぶイメージと全く違い、チョウよりも滑らかな美しい飛び方でした。ですから、何千キロも飛べるんですね。バッタではないものを見たようで、思い出すと鳥肌が立ちます。現地に立たないとわからない感覚です。

作品④ サバクワタリバッタの群れ (セネガル 1988年)

限られた時間で4作品しかお話しできませんでしたが、他のも写真展でぜひご覧ください。『世界昆虫記』を出版した後も、オーストラリアのアボリジニが食べる、ミツツボアリという蜜を食べるアリを取材しましたし、他にも行きたいところ、見たいものがあります。これから順に取り組んで、またぜひ皆さんに見ていただける機会を持ちたいと思います。

講演会場写真:大西成明
 

今森光彦(いまもり みつひこ)

1954年滋賀県生まれ。写真家。大学卒業後独学で写真技術を学び1980年よりフリーランスとなる。 以後、琵琶湖をとりまく全ての自然と人との関わりをテーマに撮影する。一方、熱帯雨林から砂漠まで、広く世界の辺境地の訪問を重ね、取材を続けている。また、ハサミで自然の造形を鮮やかに切りとるペーパーカットアーティストとしても知られる。近著に『小さな里山をつくる チョウたちの庭』『クヌギがいる』『今森光彦写真集 オーレリアンの庭』他多数。
公式サイト(今森光彦ワールド)

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