
CHAPTER
1.はじめに
地球上では脊椎動物や昆虫など、高度に組織化された多細胞動物が繁栄してきました。しかし、数億年の単位で時代を遡れば、現在のような複雑な形を作れない多細胞動物の世界があったと考えられます。動物の多細胞体制の仕組みはどのように始まり、進化の過程で高度に組織化され、多様化し、地球上の様々な環境に適応したのでしょうか?研究館では、その発展のもととなる原始の多細胞動物について考えるシンポジウムを開催しました。本記事では、シンポジウムの最後で語られた研究者たちの声を紹介します。
2.座長より
2025年現在、ゲノムを通じて生きものの深い歴史をたどれる時代が到来していることは間違いありません。しかし、原始の細胞の仕組みを理解するには、ゲノムだけでは不十分で、実験研究の発展が待たれている状況と認識しています。実験研究から展開される開拓者精神を持った研究者が、未踏の研究領域に挑むこと。そのような面白さが詰まった今回のシンポジウムが、未来への道標となれば幸いです。
原始の多細胞動物にせまる

演者紹介
小田広樹(座長)
JT生命誌研究館 細胞・発生・進化研究室
動物多様化の背景にある細胞システムの進化に興味を持っている。 1) 形態形成に重要な役割を果たす細胞間接着構造(アドヘレンスジャンクション)に関わる進化の研究と、 2) クモ胚をモデルとした調節的発生メカニズムの研究を行っている。


カワカイメン
船山典子京都大学 大学院理学研究科
単細胞動物から多細胞動物はどう進化し、どのように発達したのだろうか? 現存する多細胞動物の中で最も早く進化したと考えられる動物門の1つであるカイメン動物の個体形成過程に着目している。そして、カイメン独自の機構を解明することで、これまで知られていない全く新しい発生の仕組みを明らかにしようとしている。 (参考記事:季刊「生命誌」70号「カイメンの幹細胞から見る多細胞化の始まり」)


群体をつくるカプサスポラ(単細胞ホロゾアの一種)
菅 裕広島県立大学
動物が多細胞体制を進化させるには、細胞同士の接着や連絡など、多くの新しい分子機能が必要であったはずである。そうした機能を実現するために必要な遺伝子を、動物の祖先はどこから調達したのだろうか? この謎に、動物に近縁な単細胞生物である「単細胞ホロゾア」と呼ばれる生物をモデルに迫ろうとしている。
3.座談会「ゲノムと実験研究から迫る未踏の知」
遺伝子の役割は変わっていく
小田
本日は嬉しさでいっぱいです。原始多細胞動物を理解する上で大事だと思う点を、お二人とは共有していると感じていて。これ以上お尋ねすることが思い当たらないくらいですが、ここで掘り下げてみたいのが、遺伝子の祖先的な機能についてです。
我々の体をつくるのに重要な「ヘッジホッグ」という遺伝子があります。脊椎動物の特徴である、背骨(脊椎)の繰り返しパターンをつくる遺伝子です。ヘッジホッグは節足動物や刺胞動物などにも広く受け継がれていますが、脊椎動物以外でどんな機能をもっているのかは研究が進んでいません。この遺伝子、多細胞動物の祖先では全く別の機能をもっていたのではないかと思うのですが、船山さんのお考えはどうですか?

船山
祖先的な機能を語るのは難しいですが、少なくともカイメン動物と脊椎動物では性質が違います。脊椎動物のヘッジホッグは、遠隔の細胞に情報を伝える分泌シグナルの役目をもちます。多数の離れた細胞とやりとりをすることで、大きな体のパターンをつくり出せるのでしょう。一方、初期に分岐した多細胞動物であるカイメンでは、ヘッジホッグに相当する遺伝子は非常に長く膜貫通型です。つまり細胞膜に埋まった状態で、隣の細胞とのやりとりにしか使えません。
小田
興味深い違いです。細胞間でいかに情報をやりとりするかは、多細胞動物の体づくりで重要になってきますから。遺伝子が受け継がれていく中で、ヘッジホッグの性質が変わっていったのでしょうか。
船山
祖先の単細胞動物からさまざまな多細胞動物が分岐していくにつれ、色々な分子について、遺伝子ドメイン*の組み合わせが変わる「ドメインシャッフリング」が起きたようです。脊椎動物と同じ分泌型のヘッジホッグは、刺胞動物が進化する前にドメインシャッフリングで生じ、隣の細胞だけでなく離れた細胞とも相互作用できるようになったことがわかっています。ここからより複雑な構造をもつ多細胞動物の体づくりに働くようになったのだと考えられています。
*ドメイン…遺伝子の中で特定の機能や構造をもつ配列のまとまり
小田
多細胞体は細胞同士がしっかりくっつくことが重要でです。そのため多細胞動物にはカドヘリンやインテグリン、ラミニンなどいくつもの接着分子があります。我々はクモやハエのカドヘリンに着目していますが、細胞を基底膜に接着させる役割をもつラミニンにも興味をもっており、菅さんのお話に大いに興奮しました。
菅
ラミニンは動物の複雑な体づくりに関与する、実に「多細胞動物らしい」遺伝子ですが、単細胞動物であるカプサスポラにもあります。カプサスポラは環境が悪化すると群体になるのですが、この時、互いにくっついた塊になるのにラミニンは使われている。つまり彼らにとって、ラミニンは危機の際にはたらく遺伝子なのです。動物の多細胞化は、祖先の単細胞動物が危機避難の際に使っていた遺伝子を流用したことが始まりではないか、というのが私の仮説です。
小田
実際、多細胞体制に必要な遺伝子の多くを、カプサスポラがもっているというお話には驚きました。一方で、単細胞ホロゾア*のゲノムにある遺伝子を幅広く見た時に、左右相称動物には見られない多様な遺伝子があるのではないかと思います。菅さんはその多様性を感じることはありますか?
*単細胞ホロゾア…多細胞動物に近縁な単細胞動物。襟鞭毛虫やカプサスポラを含む(下図参照)。
菅
ドメイン単位での組み合わせには複雑なバリエーションがありますね。初期に分岐した動物のグループでは、後の動物からは想像できないようなドメインの組み合わせが見られます。かつて、さまざまな組み合わせを試した時代があったのだと思います。
もちろん生物は目的を持って進化するわけではありませんから、生物が試行錯誤して進化したと考えるのは正しくない。実際は、どんなに滅茶苦茶でも環境が良くて生き延びられた時代があったのだと、私は考えています。数億年前の地球のどこかに、何をやっても生きられる天国みたいな場所があったのではないかと。我々が今眺めると、厳しい環境のなかで行われた適応のようにも見えますが、彼らにしてみれば、もしかしたら逆に、制約のない状態で自由気ままに行われた進化実験だったかもしれません。ここで一旦多様になった組み合わせの中から、子孫の代でそれぞれの生息環境に適したものを受け取っていったのだと思います。我々のような多細胞動物は、そうした子孫の一つです。
遺伝子から見る生きものの関係性
小田
カイメン動物にもさまざまな系統や種がありますが、「カイメンをカイメンたらしめている」といえるような共通の遺伝子セットは見つかっていますか? それとも、それぞれのカイメンがお互い全く違う遺伝子をもっているのでしょうか?
船山
カイメンに限らず、動物では基本的に分類群ごとに、その生き方や生息環境に合わせた特異的な遺伝子群があることは知られています。カイメン動物にもそのような遺伝子セットがあるはずで、その一つは「集合因子遺伝子群」かもしれません。カイメンは、体を構成している個々の細胞の接着を人工的にうまく外して、バラバラな多数の細胞にすると、細胞が再び集合して小さな個体をつくることができますが、集合因子群とは、このとき同種の細胞を認識するのに働く多種類の巨大分子の遺伝子群です。
今までは、わかりやすさのために生物共通の遺伝子ばかりが着目されてきましたが、多様性を理解するためには、たとえ難しくとも、そのグループで獲得された新しい特徴に結びつくような独自の遺伝子(Taxonomically restricted genes)の機能を解き明かしていくことが大切だと考えています。
小田
動物の分子生物学的な研究は、ヒトを知る目的から始まったところが大きいため、特にヒトと共通の遺伝子ばかりが研究される傾向にありますね。しかし、実際はそこから外れた多様な遺伝子があるはずだと、私も思います。生物の歴史を語るときには、左右相称動物では研究されてこなかったような目立たない遺伝子が、実は大昔に大事なことをしていたかもしれないのです。
船山
もう一つ、遺伝子が共通なのか多様なのかという見方も、今後は変わってくるはずです。これまで遺伝子が似ているかどうかは、アミノ酸の配列(並び順)を比較して判断することしかできませんでした。しかし生体において遺伝子の情報は、アミノ酸の配列が3次元構造のタンパク質になることで、初めて機能を発揮するわけです。AlphaFold*という画期的なツールができた今、ゲノムやトランスクリプトームの比較では似ている遺伝子が全くないと言われた生物どうしが、タンパク質の立体構造をみると似たものをもっていた、という事例が出てきています。
*AlphaFold…タンパク質の3次元構造を、そのアミノ酸配列から高精度に予測できる人工知能プログラム。小田
菅さんはどうですか?単細胞ホロゾアの遺伝子実験から、何か面白いことが見えていますか?
菅
ヒトからかけ離れた生物は、離れているからこそヒトを理解する糸口になり得ます。「ハンチントン病」という人間の疾患をご存知ですか。手足が意志に反して動いてしまうことから、昔は「舞踏病」と呼ばれていました。原因となるのは「ハンチンチン」という遺伝子で、そのタンパク質が神経細胞に滞留することが疾患の引き金になるとわかっています。実はヒトのハンチンチンと同じ遺伝子が、カプサスポラにもあるんですよ。
小田
我々の疾患と関わっている遺伝子が、カプサスポラにもあるとは意外です。
菅
アルツハイマーもそうですが、疾患の原因となる遺伝子が、正常な状態でどんな機能を果たしているのかは未解明なことが多い。遺伝子が捨てられていないということは何かしているはずですが、本来の機能がわからないため研究の進めようがないのです。しかし、複雑に分化したヒトの細胞ではなく、カプサスポラのような単細胞生物なら、その機能を明らかにするのは難しくないかもしれません。実際私たちが、カプサスポラのハンチンチンをノックアウトしてみたら、細胞の運動性に影響がみられたんです。カプサスポラのような一見役に立たない生きものが、ヒトの舞踏病を解決することを夢見たりするのです。

一から立ち上げるからこそ見える世界
小田
お二人の研究で難しいと感じる点、反対に面白いと思う点は何ですか?
船山
モデル生物なら既に確立しているような基本的な手法でも、カイメンの研究では一から確立しなくてはならない苦労がありました。特に遺伝子機能解析やライブイメージングができないことが大きな壁でしたが、研究を始めたときからその実現を目掛けて努力してきて、やっと花が咲きそうです。仲間も増えつつあり、これからさらにカイメン研究が大きく展開するところです。
小田
それは素晴らしい。これからが楽しみですね。
船山
またカイメンの細胞は柔軟性に富んでいる点が面白いのですが、柔軟すぎて遺伝子発現解析だけでは捉えられないのではないかとずっと考えてきました。最近、ライブイメージングができるような手法の確立に成功しました。やはりこの眼で生きた細胞を見られると違います。ありのままに観察できるライブイメージングで細胞がどう挙動するか捉えることで、遺伝子発現解析では全く分からなかった、驚くようなことが沢山わかってきそうです。カイメンの想像を超えるうまく出来た仕組みや美しさを知ると、ヒトよりもずっと進化し続けた時間が長い動物には、その動物らしい洗練された仕組みがあるのだと感動します。
小田
菅さんはいかがでしょうか?
菅
カプサスポラを研究しているのは、私たち日本のグループとスペインの研究室のたった2つです。研究のコミュニティーが小さいことの心細さはあります。その生物で初めて遺伝子導入技術を確立しようとDNAコンストラクト*を作り、それをさまざまな方法で細胞に入れてみるのですが、当然最初はうまく行きません。うまく行かない原因がコンストラクトにあるのか、手法にあるのか、それとも他の原因なのかは知りようがなく、最終的に一発当てるまでは完全に手探り。実験がうまく行かない間は、無間地獄にいる気分です。
*DNAコンストラクト…遺伝子組換え技術で用いられる人工的に作製されたDNA 断片小田
相当なご苦労があったでしょうね。お気持ちはよくわかります。
菅
しかし一度うまく行けば、その技術を持っているのは自分だけです。暗闇を手探りで探検していたら小さなろうそくが手に入って、それを灯すと周りには誰もいないことに、忽然と気づく。小さくともオンリーワンの状態です。自ら技術を切り拓いて展開させていくところに、研究の楽しさがありますね。
自らの手で解き明かす喜び
小田
最後に、これから研究の道に進む若い方たちに一言お願いします。この先楽しくなりそうなテーマや、ご自身の研究から見えてきたことなどありますか?
菅
私が気にかかるのは、近年、ポスドクや博士課程の学生の生活が苦しいと報道される場面が多いことです。もちろん生活は楽ではないし、異国で家族を抱えている人は、来年どうなるかもわからないといった、底知れぬ不安は付き纏います。多くのメディアは閲覧数を上げようと、ことさらに研究者の苦しさを書き立てるし、研究者は艱難辛苦を訴えることで少しでも待遇が改善されるなら、と喜んでその苦境を誇張しがちです。でもみなさん、大半の研究者は何よりも「自分の人生は楽しい」と思っていることをぜひ知って欲しいのです。
まずは円安に負けず、外国を経験してみてください。朝永振一郎博士は、アメリカ留学時、「天国に島流しにされたようだ」と言ったそうです。
船山
AI(人工知能)が出てきた今、すぐに答えを求める傾向が社会全体にあると思います。でも、人間もAIも知らないことは、まだ山のようにあるはずです。時間はかかってもそれを見つけ出すこと、自分で仮説を立て、「そうだったのか」と知ることは素晴らしいことです。自分が面白いと思うことを、自らの手で少しずつ解き明かす楽しみに勝るものはありませんから。
結局、どの道を選んでも悩みは生まれます。それならばやりたいことを突き詰めて、その楽しさを分かち合える人とどんどん繋がってみてください。それが人としての深い喜びであり、研究面でも社会への貢献面でも予想外の展開につながるはずです。昔と比べて、学生さんやポスドクは社会から求められているし、留学しても言葉の壁にぶつからずに済みます。可能性は大きく広がっていますよ。
小田
お二人とも、ありがとうございます。本日は「原始多細胞動物の世界」というテーマでシンポジウムを行いました。現在の地球を少しさかのぼって、動物の始まりの時代に戻ったような気持ちになり、楽しかったです。皆さん、ありがとうございました。

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