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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2021.04.15

内容の理解を超える共振

読むという行為は面白いもので、その時自分が何を考え、何を求めているかによって見えてくるものが違ってきます。最近は「私たち」意識を持っていますので、以前とはちょっと違うものに眼が行きます。

 

今回は、吉増剛造さんの言葉です。最近詩人の自作朗読がよくありますが、吉増さんもそれを精力的になさっています。朗読をするときは、たとえ自作のものでも集中して作品を読みこんでから声に出さなければならないそうです。その状態で日本語になじみのない外国人の前で読むと、意味や内容は伝わらなくとも、何か見えない振動のようなものが立ち上がっており、そこに単なる理解を越えたものを感じるのだそうです。それは、意味を聞こうとしている人には聞こえないものかもしれないと、詩人は語ります。

 

西洋の思想は、ソクラテス、プラトン以来対話で成り立ち、しかもそこでは論理が優先されます。科学は、もちろんこの流れの中にあります。詩人は朗読をしながら、そうではないところに「何かもう一つの命の芯がある」と感じているのです。

 

サイエンスコミュニケーションという言葉に、どこか違和感を持ち続けてきたのはこれかなと思います。研究館を始める時、実験室でない部門の名前に苦労しました。岡田先生と、ああでもない、こうでもないとかなり考えました。サイエンスコミュニケーションでは、本当にやりたいことを表せていないという思いを具体的な言葉にするのは難しく、結局、SICP(Science  Communication  and Production)となったのでした。その時のもやもやは、吉増さんのおっしゃっていることだったのだと分かりました。論理や意味、つまり知識の内容を分かりやすく面白く伝えるという気持ちとは違うものがそこにはあったのです。こちらが、伝えたい内容をとことん読み込み、思いを込めて表現することで、共振が生まれることを願ったのでした。普及、啓蒙、教育とは違うものであり、理解してもらうのとも違うのです。

 

サイエンスコミュニケーションでは、あなたと私の間に理解は成立するでしょうが、共振するあなたと私にはなれません。科学者と市民というような、間に「と」の入った関係とは違うものを「生命誌」は求めています。大岡信さんが、「生命誌」を「生命詩」と思われて、「いいですね。」とおっしゃったのを思い出しました。底では、誌は詩とつながっていたいと思います。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶