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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2021.07.01

基本を変えずに続くということ

これまでの生命誌は人間へと続く道を考えようとするために、植物そのものに眼を向けて来なかったことに気づき、生物学の教科書の始めの方から眺め直しながら、改めて生きものは面白いと感じています。

「脱炭素」という言葉が生まれたのは、経済成長こそ幸せへの道と勘違いし、大量消費を続けて大量のCO2を排出した結果、異常気象に悩まされることになったからです。急速にエネルギーへの関心が高まり、「脱炭素」の象徴として「水素社会」という言葉がしばしば口にされるようになりました。つまり、社会を支える技術をガラリと変えようというわけで、技術者や企業の張り切りぶりたるやすごいものがあります。新しい挑戦は必要ですが、今の動きにはどこか危うさがあります。環境への関心があるように見えながら、技術で世の中を思うように動かそうという気持ちがこれまで以上に強く、謙虚さが感じられません。自然についても、利用意識が強く自然から学ぶ態度ではありません。

自然には学ぶところがたくさんあります。まず、生きものは30億年以上前に生まれた技術をそのまま使い続けているというところです。基本の基本は、DNAに書き込まれた情報をRNAが読み取りタンパク合成をするしくみであり、不変です。もちろん進化の過程でさまざまな機能が生まれましたが、生命現象を支えるしくみはバクテリアでもヒトでも同じで、ここでつくられ、はたらくのが炭素化合物(有機物)です。私たち自身が炭素化合物であり、これは変わるはずはありません。私たちの社会はこれを基本に置いたうえで、新しい技術や生活様式を生み出してきたのです。脱炭素はあり得ません。

一方、人間が近年生み出した技術は常に新しさを求め古いものを捨てていきます。コンピュータのバージョンアップの度に悩みます。データの記録も、以前重宝したテープやフロッピーディスクなどは今や役立たずの邪魔者です。突如、脱炭素で水素社会と5.0社会でいくと言われてもどこか危うさを感じるのは、継続の大切さを思うからです。やはり社会にはどっしりした根がないとダメでしょう。

DNA、RNA,タンパクの次に光合成のページを開きました。教科書をこんな風に読むのは久しぶりです。炭素化合物の変化は円を描き、その中で、太陽のエネルギーを巧みにATP(化学エネルギー)に変えます。そして、生態に必要な化合物を生みだしていく。常温、常圧で穏やかに進む反応です。一つ一つの部分の巧みさに惹かれ見飽きません。生きものの中で生まれた基盤的技術であり、変わることなく炭素循環社会を支え続けてきたことに改めて敬意を表します。先日逝去された根岸英一さんが、クロスカップリング反応で人工光合成を可能にしようと努力されていたのを思い出します。最近のお仕事を見ていませんが、成功されたとの報告はなかったように思います。難しいのですね。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶