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研究館より

表現スタッフ日記

2023.10.04

生きものとしての「好き」が集まる場に

涼しくなったこの週末は、久々に野歩きをしました。原っぱではシジミチョウがたくさん目に入り、甘熟したムクノキの実に小鳥が集まり、カツラの大木の下を通ると散り始めた葉っぱが甘い香りを発しています。植物と動物をそれぞれ別の自然物として記載する自然誌研究はローマ時代に始まりましたが、両者を生物としてまとめて研究対象とする「生物学」が生まれたのは、それから二千年を経た19世紀のことです。忙しく動き回る鳥やチョウに対し、西日を受けてじっと動かない草木を見ていると、動物と植物を同じように生物として捉えることに長い時間がかかったことに頷けます。

DNAやタンパク質など、生物を構成する分子の振る舞いを観測できるようになった現代、肉眼で見えないバクテリアやカビ等も含めた全ての生物が、共通の基本単位である細胞でできていること、細胞にゲノムDNAが入っていること、従って生物は限りなく共通に近い起源をもつことは多くの研究者が支持しています。科学技術の進歩がなければ、細胞の中のDNAが、何億年も複製され受け継がれてきたということはわからなかったでしょう。100年前まで決して知り得なかったことを、私たちは、たとえ知識だけであっても知って(しまって)いるのです。これは、もう何も知らなかった時代には戻れないということも意味します。

今年のノーベル生理学・医学賞の受賞者が、RNAワクチン開発に尽力された2名の科学者であったことから象徴されるように、現代の医療や創薬は分子生物学なしには成り立ちません。一方、技術の面とは切り離してこの学問をどう捉えるかは、個々人に委ねられています。私は、この分野の事実を知れば知るほど、「生きている状態って、繊細で複雑すぎる!」と感じます。エンジンのように回るATP合成酵素や、伸びては消えを繰り返す細胞骨格、状況に応じて立体構造を変えるゲノム、そして化学反応の場となる無数のしずくや泡など…細胞一つの中にも数えきれない分子が動いて変化しているらしいと知ると、生物はどこまでも現象なのだと実感します。複雑なミクロの世界を覗いてしまうと、「生きものの外見や生き方の違いなんて、些細なものなのでは?現象としてここに在るだけですごいじゃないか!」とさえ思うのです。

研究館で働いていると、毎日のように、生きものが大好きな人や、研究が大好きな人に出会います。そういう方は、プロの研究者かそうでないかは関係なく、年齢も関係なく、みんな少年少女みたいな眼で好きなものについて語ったり思いを馳せたりしていて素敵です。先ほどの話とは矛盾するようですが、こんな時にふとミクロの分子や細胞の振る舞いを思い出すと、既に相当に複雑な生命という現象の上に、どうやって私たちの日々の感情や行動が乗っかっているのか本当に謎だなと思います。ましてや、「これしかない!」とか「君しかいない!」といった、強い「好き」はどこから生じるのかが本当に不思議なのです。

ヒトが好奇心をもつことが生存に有利にはたらいたから、愛情をもつことが生殖や子育てに有利にはたらいたからなど、進化学的な観点から、この感情の理由をある程度はつけられるのでしょうが、強い「好き」は、まるで合理的な理由を超えた熱のようです。私はこうした状態の人に会うと嬉しくなって、「ほらやっぱり、私たちという現象は説明できないじゃないか!名付けられないじゃないか!私たちの思いは他の誰のものでもない。何かを好きになることは生命の大きな謎なんだ!」と言いたくなってしまうのです。そして重要なことに、この館はそんな熱をもった人からこそ力をいただいてきたように思います。30年を迎えた研究館がこれからも、決して知識を伝えるのではなく、自分を突き動かすものを知り、好きなことを大切にできる場であり続けるよう心がけようと思いました。