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研究館より

表現スタッフ日記

2025.06.17

過去も未来もこえる瞬間

季刊「生命誌」121号を出版しました。カードをお申し込みの方は、そろそろお手元に届き始めている頃でしょうか。ここ数年、季刊誌では生きものが表紙を飾ることが多かったのですが、今回の「顔」はちょっと違います。ぜひご覧ください!

今号で私は、分身ロボット研究者の吉藤オリィさんと中村桂子名誉館長の対談の収録に同行しました。内容はぜひ記事をご覧いただきたいのですが、二人の語り合いの中で「今をどう生きるか」という話題があり、中村名誉館長による「AIは過去から予測した未来を見せるけれど、そこに今はない。」という言葉が印象に残りました。AIのやり方はともかく、私たちが過去や未来にこだわるのは、少なからず後悔や不安に常に苛まれているということなのかもしれません。それらを抜きにした「今」に集中することって、まさに生きものらしい生き方の本質を問われているではないかと感じたのです。

私にとって、過去も未来も忘れさせてくれるのは、「もう他には何もいらない」と思える瞬間です。美味しいものをいただく時や、家族・友人と平穏に過ごす時間などは満ち足りていて素晴らしいのですが、私にとっての「他に何もいらない」はもっと欲張りで、大袈裟ながら「真理をつかまえた!」と感じる瞬間です。これが、私が科学に惹きつけられる理由なのだと思います。私が科学を表現するのは、知識ではなく、理屈でもなく、それらを抜きにした圧倒的な存在と出会うためです。偏った見方であることを承知で言えば、複雑で理解が難しいものほど真実に近いと感じます。最も身近でよくわからないのは、やはり生物であり人であり、知れば知るほど個性ばかりで常識も一般論も通用せず、ただ分かったことをそうだと受け止めるしかないのだという思いが強まります(そのため、生きものの研究を伝える表現は、毎回ほんとうに悩みます!)。

最近出会った、強烈に「今」を叩きつけてくれた存在は、吉藤オリィさんとギンリョウソウでした。ギンリョウソウは、山に詳しい平川スタッフ(前回の表現スタッフ日記参照)に出てきそうな場所を教えてもらい、京都の山中のある場所でやっと見つけることができました。ツツジの仲間ですが、進化の過程で光合成をやめ、菌類に寄生して生きるようになった「菌従属栄養植物」です(こちらの記事もご参照ください)。人でも生物でも、その背後にある固有の時間を少しでも知っていることで、生身に相対したときの衝撃(感動)は何倍にも大きくなります。結局、知識も理屈も超えた存在に出会うためには、知識も理屈も摂取し続ける必要があるようです。求め続けても滅多に訪れることのない、この「今」が欲しくて、私は表現をしているのだと感じました。