中村桂子のちょっと一言
2025.10.01
私たちには第六感どころか十二の感覚があるとか
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、まさにお彼岸になったら朝夕は涼しく、空も風も草も秋を感じさせる様相になってきました。季節の変わり目を感じる時のこの心地よさは、日本列島に暮らす人に与えられた恩恵です。有名な「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」という微妙な動きが消えていく昨今、とても寂しい気がします。友人の「昨日、久しぶりに寝室のエアコンを入れずにベッドに入り、秋を感じた」という言葉に、都会の暮らしが象徴されています。でも、近所での買い物で一緒に歩いていた娘が「キンモクセイの香りが微かにする。花はまだ見えないけれど、少し開いているのかもしれない」と言っていましたので、その気になれば都会にも変わり目の兆しは見つけられそうです(残念ながら長年使い続けてきた私の嗅覚は敏感さを失い、同じ香りは感じられなかったのですが)。スーパーマーケットの入り口近く、この間までスイカが並んでいたところがブドウ、ナシ、クリに変わっているのも、都会の秋の一つでしょうか。
ユクスキュルが「環世界」という考え方で示したように、私たちは、自分が受容できる感覚世界で生きています。生きものによって能力はいろいろで、地中に暮らすモグラは触覚で方向を知り、少しも不便を感じていないと知れば、なるほどと納得し、自分本位でない見方の大切さに気付きます。
近年、認知神経科学の分野では、「人間は五感で生きている」というこれまでの考え方に挑戦し、眼が、空間だけでなく時間も感じとっているなどという研究も進められているようです。『人間には十二の感覚がある』(J・ヒギンズ著 文藝春秋)という本に、オーストラリアの先住民は地球の磁気を感じ取っており、渡り鳥と同じことができるはずとか、腸味覚をもつ人がいるなと、さまざまな感覚が紹介されていて、感心しながら読みました。
自然との関わりの中では、このような感覚を活かした暮らしを楽しみ、それが新しい芸術・文化につながるのでしょう。一方で、感覚をすべて機械で代替し、時には人間以上の能力を発揮させる人工世界への道もあります。科学が示しているこの両方に向かうちぐはぐな感じをどのように受け止めるのが人間らしい生き方なのか。考えながら蟲の声を聞いています。
ユクスキュルが「環世界」という考え方で示したように、私たちは、自分が受容できる感覚世界で生きています。生きものによって能力はいろいろで、地中に暮らすモグラは触覚で方向を知り、少しも不便を感じていないと知れば、なるほどと納得し、自分本位でない見方の大切さに気付きます。
近年、認知神経科学の分野では、「人間は五感で生きている」というこれまでの考え方に挑戦し、眼が、空間だけでなく時間も感じとっているなどという研究も進められているようです。『人間には十二の感覚がある』(J・ヒギンズ著 文藝春秋)という本に、オーストラリアの先住民は地球の磁気を感じ取っており、渡り鳥と同じことができるはずとか、腸味覚をもつ人がいるなと、さまざまな感覚が紹介されていて、感心しながら読みました。
自然との関わりの中では、このような感覚を活かした暮らしを楽しみ、それが新しい芸術・文化につながるのでしょう。一方で、感覚をすべて機械で代替し、時には人間以上の能力を発揮させる人工世界への道もあります。科学が示しているこの両方に向かうちぐはぐな感じをどのように受け止めるのが人間らしい生き方なのか。考えながら蟲の声を聞いています。
中村桂子 (名誉館長)
名誉館長よりご挨拶