表現スタッフ日記
2026.07.15
夢のような現実を見たい
表現セクターでは毎年、テーマを決めて表現活動を行っています。今年は季刊誌で「生物進化」を掘り下げ、展示ホールでは、植物と昆虫の関係をあらわす「食草園」と「イチジクとコバチの共生」を再現しようとしています。さらに最近「生命と情報」をテーマに、中村桂子名誉館長と新たな表現の可能性を話し合うことも始めました。スタッフそれぞれが、研究者への取材に出かけたり、資料集めのために何種もチョウを飼育したり、制作業者さんと打ち合わせをしたりとフル稼働しています。
私にとって大事なことは、現状維持のために何かをするのではなく、「これをやらずに終われない」という勢いで何かをすることです。冷静に考えるとあり得ないのですが、あなたに会うために生まれてきたのだとか、これをやるために生きてきたのだとか、手段と目的が逆転したような感覚こそが、自由だと感じます。(もちろん勢い余って周囲に迷惑をかけないよう、十分に注意した上で行動しているつもりです。)「これをやらずに終われない」の最初のきっかけが自分自身から出てくることは意外と少なく、大抵は自分以外の誰か・または何かからもたらされることも不思議です。そんな私にとって、自然科学はどんなテーマを掲げて突撃しても、容易には全容をみせない深さと広さで答えてくれる、手強くも頼もしい存在です。
「夢ばかり見ていないで現実を見なさい」というように、大人は夢(想像)と現実を分けて考える傾向にあります。しかしこの場合の「現実」とは、見たくない事実(退屈な日常や思い通りにいかない事情)のみを指すことが多いように思います。少しでも自然に触れれば、自然は想像を上回る多彩さをもち、無限にみえる複雑さをもっていることがわかってきます。それを解き明かそうとする自然科学が、まだまだ未完成であることも。私は何年も自然科学に携わってきたにも関わらず、いつも頭のどこかで、研究は難しいもの、(私以外の)限られた人にしか理解できないものだと感じていました。でも最近では私の感じるこの困難が、自然の手強い複雑さを端的に示しているのではないかと考えるようになりました。理解する努力をやめてはいけないことは承知の上ですが、難しい中にも少しでも見た人の心が動くものを届けたい、何よりも、夢のような現実をこの目で見たいと思うのです。
私にとって大事なことは、現状維持のために何かをするのではなく、「これをやらずに終われない」という勢いで何かをすることです。冷静に考えるとあり得ないのですが、あなたに会うために生まれてきたのだとか、これをやるために生きてきたのだとか、手段と目的が逆転したような感覚こそが、自由だと感じます。(もちろん勢い余って周囲に迷惑をかけないよう、十分に注意した上で行動しているつもりです。)「これをやらずに終われない」の最初のきっかけが自分自身から出てくることは意外と少なく、大抵は自分以外の誰か・または何かからもたらされることも不思議です。そんな私にとって、自然科学はどんなテーマを掲げて突撃しても、容易には全容をみせない深さと広さで答えてくれる、手強くも頼もしい存在です。
「夢ばかり見ていないで現実を見なさい」というように、大人は夢(想像)と現実を分けて考える傾向にあります。しかしこの場合の「現実」とは、見たくない事実(退屈な日常や思い通りにいかない事情)のみを指すことが多いように思います。少しでも自然に触れれば、自然は想像を上回る多彩さをもち、無限にみえる複雑さをもっていることがわかってきます。それを解き明かそうとする自然科学が、まだまだ未完成であることも。私は何年も自然科学に携わってきたにも関わらず、いつも頭のどこかで、研究は難しいもの、(私以外の)限られた人にしか理解できないものだと感じていました。でも最近では私の感じるこの困難が、自然の手強い複雑さを端的に示しているのではないかと考えるようになりました。理解する努力をやめてはいけないことは承知の上ですが、難しい中にも少しでも見た人の心が動くものを届けたい、何よりも、夢のような現実をこの目で見たいと思うのです。


齊藤わか (研究員)
表現を通して生きものを考えるセクター