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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【人間について考えることをたくさん与えられました】

2004.12.1 

中村桂子館長
 順天堂大学の坂井建雄先生のお教室を訪ねました。季刊生命誌のトークのお相手をお願いしたのです。坂井先生は解剖学が御専門。解剖学者らしい解剖学者を思う時、浮かんでくるお顔です。トークの内容は「季刊生命誌44号」をお待ちいただくとして、最近考えていることにつながって考えさせられた一つのことをちょっと先取りして書きたいと思います。医学教育の場での解剖のお話の中で、生きること、生命と死、医学・医療と科学、生命論と機械論、人間などなど生命誌の中で考えている事をとても具体的に示して下さったのです。

 医学教育には人体解剖という医学以外では行われない独特の実習があります。献体された御遺体をこれからの医学・医療を支える若い人たちが解剖することによって学ぶことは多いだろうと思います。ところで解剖実習室の前で、坂井先生が人間と物体ということを語って下さいました。解剖の中で、特別な時が三回あるのだそうです。第一回は、初めて御遺体と対したとき、これは人間を深く考えさせられる時だと言います。顔を隠して、体の方にメスを入れ皮膚をはがすと、そこから先は“物体”としての解剖になる。これが医療行為でしょう。手術の場合でも、その作業中は常に機械の修理に徹して下さらなければ、最良の手術にはならないだろうと思います。次に顔の部分に入る時が、また特別の時、人間を考えさせられるとのことです。そしてもう一回。最後に学ばせていただいた御遺体を棺に納めて、その方のお名前を貼るのだそうですが、その時には、これまでの一般的な人間を越えて、一人の方がここにいらっしゃるという感じとその方への感謝の気持がわいてくるとおっしゃいました。
 解剖学教室でこのお話を伺った時の気持ちは、これまで味わったことのないもので、今適確に表現できる言葉を探せません。厳粛というだけでは不足です。
 医学・医療という分野の特別さを実感しました。医学部教育を受けた人は皆この体験をしているのだということ。そんなことあたりまえじゃないと言われそうですが、現代社会での人間を考える時、この体験がどれだけ大事なものかと思います。今、社会の中では医学は科学として位置づけられすぎているような気がします。物体として見ることと、人間としてみることの行ったり来たりの体験。人間について生命はすばらしいとだけ言っていても、機械と割り切ってしまってもわからないことだと思います。両方の見方は二つの別れたことではなく、そうかと言ってまったく一つになるはずのものでもないわけでとても複雑な関係だと思いました。この体験をもっと社会に生かして欲しいと思ったのでした。例のプラスチネーションもこの場に置いてあれば、本当に、人間について考える教材として意味があるなあと納得できます。こうして、医学・医療の意味を考えていけば、時と場合とをわきまえない「人体の不思議展」などという、とんでもないことが行われることもなかろうとも思いました。
 
 
 【中村桂子】


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