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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【「発見」でなく「開発」(?) を選んだノーベル賞】

2010.10.15 

中村桂子館長
 10月初めの週は、ノーベル賞ですね。近年、日本人の受賞が続いていることもあって関心が高まっています。今年も化学賞を鈴木・根岸の両先生が受賞され、盛り上りました。この分野は日本のお家芸のようで○○カップリングと名前のついた反応がたくさんあるのに驚きました。科学には国境はないというのが正論ですが、やはりこういう時は愛国者になります。
 ところで、日本人の受賞ではなかったので新聞やテレビでは簡単にしか扱われなかった医学生理学賞が、実は気になっています。受賞者は英国のロバート・エドワーズ(85)、受賞理由は「体外受精技術の開発」です。私がまず、ひっかかったのが「開発」でした。調べてみたら1901年から今年まで、基本的には受賞の対象は「発見」です。最初の10年ほどは、パターンが定まらず、「研究の基礎を築いた」とあったり単に「研究」で終ったりしていますが、その後はすべて「発見」です。「開発」という言葉が使われているのはたったの2回、1977年の「ペプチドホルモンのラジオイムノアッセイ法の開発」と1979年の「コンピュータ断層撮影の開発」です。前者は3人の同時受賞で、2人は「脳のペプチドホルモン生産に関する発見」に与えられており、それと組んで米国のロサリン・ヤローがその研究にラジオイムノアッセイ法の開発で寄与したということなのです。発見に大きく貢献した技術の開発ということで納得できます。「コンピュータ断層撮影」はまさに画期的な医療技術開発であり、これも納得です。そして今年の「体外受精技術の開発」が三番目ということになるのですが、これは単に三番目とだけ言ってはいられない新しい意味を持っているのではないでしょうか。「開発」と言ってしまってよいのだろうかという疑問がわきます。
 実はもう一つだけ「発見」でない言葉で終っている年があります。それは1978年の「制限酵素の発見と分子遺伝学への応用」です。ここに「応用」という言葉がありますが、これも分子遺伝学という学問への応用となっており、ラジオイムノアッセイと同じような位置づけです。実はここには「DNA組換え技術」という大きな技術開発があるわけですが、そのような形での評価はされていません。生物が体内で行なっていることを体外で見えるようにし、操作を可能にするという作業を「開発」と名づけ、しかもそれをノーベル賞の対象にするという今年の判断は正直驚きました。大きな曲り角を曲ったという気がするのです。体外受精は、すでに生殖補助医療として定着しており、赤ちゃんを生れ方で区別することはできませんし、私たちの社会がそういう選択をしたのですから体外受精そのものを云々することはできません。でも、これまで生命現象の“発見”を評価してきたノーベル賞がここに“開発”という言葉を持ち込み、受賞対象にしたのはどういう考え方に基づいているのだろうと気になります。選考過程は50年後の公表ですからそれまではわかりませんが。
 生きものの基本である細胞は、多くの能力を持っており、それを活かして医療を進めることは大事です。このような医療へ向けての研究が進むと思います。でも私たちは細胞のことをすべて理解しているわけではありませんから、なんとかそれを活かすよう、応援する努力をするのだという気持を失なってはいけないと思うのです。今年の医学生理学賞は、その辺を再確認する必要を感じさせます。
 生きものとのつき合いは、楽しい一方で面倒なことがたくさんあります(今名古屋で行なわれているCOP10のテーマ生物多様性も同じですね)。

 【中村桂子】


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