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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【ちょっとおかしくないかしら】

2011.2.1 

中村桂子館長
 昨年は「生物多様性年」で名古屋でCOP10が開かれたこともあり「多様性」という言葉が浸透しました。そして今年は「国際森林年」です。多様性も森林も狙いは同じ。地球上で暮らす生きものの一つとして生きるという意識を持たなければ明るい未来は考えられないことに皆が気づいたということでしょう。
 それはすばらしいことなのですが、これを環境問題と言ってしまうと本質からずれる危険があります。気になった一例をあげましょう。先日、近くで行われているこんな活動の話を聞きました。中学生が給食の残飯を集め、それを近くの大学に持っていきます。そこで微生物を用いて分解、有機肥料にし、それを近隣の農家が活用しているというのです。なんとスバラシイ!中学生が環境問題を意識し、しかも毎日自分たちで残飯運びを実行しているわけですから。お話はこうなっています。
 でもこれってちょっとおかしいと思いませんか。太平洋戦争の末期から戦後にかけて、小学生・中学生として充分な食べものがない体験をしている私のこの話への反応は「残飯を作っちゃダメ」です。給食は食べもの。農家の方に始まり、大勢の人が手間をかけて作って下さった大事なものです。ところが、これを残飯という状態にした途端にゴミになってしまうのです。食べものはゴミにしてはいけません。食べものって元は生きもの、それらのいのちをいただいているわけで、その意味でもゴミにしてはいけません。食べものを作るためには環境に大きな負荷をかけているわけで、そこから見ても無駄にしてはいけません。しかも、地球上に暮らす人全体の食べもののことを考えたら、無駄にする余裕はないはずです。
 つまり、「生きものとして生きる」という視点からは、残飯をつくらないよう(多過ぎたら作る量を減らすとか)、皆で工夫しましょうという答が出てきます。それを、上にあげたようなさまざまな問題につなげていくのが教育です。残飯を毎日運ぶのを「環境教育」と思ったら大間違い。もう一度、「生物多様性」や「森林」という言葉のもつ意味を考えて欲しいと思います。
 多様性や環境という言葉をスローガンにすると、どこかおかしなことが起きます。とにかく、自分が生きものであるという実感をもち、それを基本に考える日常を若い人たちに伝えるのが大人の役目だと思うのですが。
追記:
サッカー、とても面白かったですね。真正面で観戦(テレビですれけど)、決勝戦の日は気づいたら午前3時半(日曜日なので大丈夫)でした。日を追うにつれていっぱしの評論家になってきて、同じことをテレビの解説者が言うのに満足してました。


 【中村桂子】


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