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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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「人類と利他性」

2017年12月1日

私のような専門外の人間が言語について考え始めると、取り止めがつかなくなる。もともとこの連載は体系的に書いてきたわけではないため、言語のように難しい問題になると、問題が頭に浮かぶたびに脱線、脱線を繰り返してしまう。読者の皆さんを混乱させて申し訳ないと思っている。実際、自分で読み直しても、思いつきで右往左往、読んでいただいている皆さんを混乱させるだけで終わっている。ただ、とりとめなく文章を書いているうちに、それとはなしにホモサピエンスで起こった言語の始まりが自分なりにふっと頭に浮かび始めた。勝手に「言語のマイスタージンガー仮説」と名付けている。これを新しい年の冒頭に持っていきたいと準備しているので、それまでは、思いつくまま飛び回る私の思考を我慢してお付き合いいただきたい。

さて前回、狼やチンパンジーの狩りでは、相互に協力するための利他的コミュニケーションはほとんどなく、肉を食べたいという感情の共有と、狩りに必要な手続記憶に基づく自発的行動の学習、そして他のチンパンジーがどのような行動を取るかについての予測力で行動していることを述べた。このような狩りで情報として共有されているのはあくまでも感情や本能で、我々が考えるような感情以外の情報のやり取りが起こるためには、人類に特異的な質的に異なるレベルのコミュニケーションの進化が必要だった。

この人類(ホモ属)特有のコミュニケーション能力の背景について、類人猿と様々な発達段階の人間の児童を丹念に比べる研究で明らかにしようとしているのがライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所のマイケル・トマセロ(Michael Tomasello)のグループだ。前回述べた複数の類人猿が共同で行う狩りの様式を、彼は人類の狩りと区別してexplosive(一旦スウィッチが入るとあとはコントロールできず爆発するだけ)な狩猟と名付け、類人猿には人間のコミュニケーションに見られる、相互作用による調整が全く欠けていることを述べている。

このサルから人類への進化過程で生まれた新しい個体間の協力関係が新しいコミュニケーションを発展させ、その結果言語の発生に至ったと考える研究者はTomaselloに限らず多い。ただ、Tomaselloはこのことを示すために、同じ課題を類人猿と様々な年齢の人間の子供に行わせて、人間にしかできない能力を科学的に特定する実験を数多く行ってきた。

例えば以前紹介した熊本のチンパンジー飼育施設で行われたTheory of Mind(他の個体も自分と同じように考えていることの理解)が類人猿にも存在することを示す論文は、熊本の施設だけで行われたのではなく、チンパンジー、ボノボ、オラウーンタンを用いてドイツ マックス・プランク進化人類学研究所のTomaselloの研究室でも同じ目的の実験が行われ、共同で発表されている。

この研究では、類人猿にもTheory of Mindが存在する、すなわち人類特有と思われていた能力が「猿にもある」ことを示している。確かにSF映画「猿の惑星」で人間と同じ知性を持つ猿が描かれていることからわかるように、ともすれば私たちの興味は「猿はどこまで人間と同じか」に向かう。しかし人類進化を考える上では、間違いなくTomaselloのように人間特有の能力であると検証できる性質、すなわち「猿にはできないこと」を一つ一つ明らかにすることのほうが重要だ。もともとできないことを証明するのは難しいため、このような実験結果は常に批判にさらされるし、普通すぐに「サルもできる」という論文が発表されることが多い。それでも頑なに両方を比べる実験を続け、サルと人間の子供の行動を知り尽くしたTomaselloの研究から学ぶことは多い。彼は多くの著書を出版しているが、Harvard University Pressから2014年に出版した『Natural History of Human Thinking』は、この他の個体との協力関係の変革から言語へと進む道がわかりやすく書かれており、人間特有の性質や能力とは何かに興味のある方にはオススメの本だ(邦訳がまだないのは残念だ)。

図1 Michael Tomaselloが2014年に出版した著作で、ここで説明している意図の共有を契機とした人間特有の能力の進化について書いている。

ではこれまでの研究から見えてきた人間特有の性質とは何か?またそれはどのように特定されたのか?誤解を恐れず単純化すると、Tomaselloを始めとする多くの研究者は、他の個体を助ける「利他性」を最も重要な人間特有の性質として挙げている。

もちろん他の個体を助けるかどうかだけで見れば、子供を育てる動物全てが利他性を持っていると言えるかもしれない。ただ、ここでいう「利他性」とはこのような本能的な利他性ではなく、本能的に持っている性質を超えて他を助ける利他性だ (例えば図2で施しと子育てを比較)。


図2:子育ても利他的だが、本能的と断じていいだろう。(写真はWikipediaより)

ではこのような高次元の利他性はどのように定義され、研究されているのか?わかりやすい例として、TomaselloのグループがPsychological Scienceに発表した「One for you, one for me: human’s unique turn-taking skills(一つを君に、もう一つは僕に:人間特有の順番性の能力)」という面白いタイトルのついた論文を取り上げてみよう(Melis et al, Psychological Science, 27:987, 2016 : http://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0956797616644070?url_ver=Z39.88-2003&rfr_id=ori:rid:crossref.org&rfr_dat=cr_pub%3dpubmed

私たちは、協力しないと目的の物が得られない時、「最初に手に入れた物はまず君に、その次は僕に」と分配の順番を決めて協力することができる。しかしこの場合、一回の協力で手に入るのが一つだけだとすると、自分には何も手に入らないのに協力だけを行うという状況が生ずるのを認めなければならない。このためには、将来自分にも確実に回ってくる利益を想像して、一時的に我慢できる能力が必要になる。事実、3歳以前の幼児は、協力すれば欲しいものが手に入ることがわかっていても、自分に目的のものが回ってこないという状況を認めることができず、結局協力関係が成立しない。

この研究では、2本の紐を協力して引っ張れば、一個のボールを手に入れることができる2つの仕掛けを作り、片方の仕掛けからはボールが自分に、もう一方の仕掛けからはボールは相手に落ちるようにしておく。この使い方を理解させた後、2つの仕掛けを交互に操作して、順番にボールを手にするかどうかを、3.5歳児、5歳児、そしてチンパンジーで調べている。(同じ著者がProceeding of Royal Society Bに掲載したオープンアクセスの論文に、今回使われた仕掛けとよく似た図が掲載されているのでイメージを得るための参考にしていただきたいhttp://rspb.royalsocietypublishing.org/content/281/1796/20141973)。

図3: サルの協力関係を調べる課題。この図は、本文で説明している実験とは異なるが、紐を同時に引かせて協力させるという点では本文で説明しているPsychological Scienceの論文と共通してる。
クリックすると論文サイトに遷移し画像が見られます→

結果は明瞭で、5歳児ペアの場合、実験開始直後からほぼ100%協力しあう戦略が成立する。すなわち、相手だけがボールを手に入れることを認め、交互に獲物が手に入るよう順番を決める戦略を立てる。ところが同じ戦略関係が成立する確率は、3.5歳児では62%に落ちる。この時の様子を観察すると、5歳児では積極的な方が声をかけて、順番にボールを手に入れようと指示しているのがわかる。一方、3.5歳児ではこの戦略が成立するまでに試行錯誤が必要で、結局うまく協力が成立しないペアもある。すなわち、この利他的能力の発達は3.5歳がちょうど境界上にあると言える。それでも、最終的には順番にボールを手にするための戦略を見つけるペアは何組か生まれる。これに反し、チンパンジーで同じ実験を行うと、偶然協力してボールを手に入れることは観察できても、順番にボールを手にするための安定した協力関係が成立することはない。

以上の実験から、Tomaselloたちは、将来の自分の利益を考えて他人とゴールを共有し協力しあう高次の利他性は人類特有の性質だと結論している。ただこの利他的性質が完全に自己の欲望を殺す道徳的行為の誕生と勘違いしてはならない。幼児はサルのexplosiveな協力形態と同じように、あくまでも自分の利益を追求しようとする強い利己的動機で行動しており、それでも協力が成立している点が重要だ。この実験で選んだペアも、自然に支配的な子どもと、それに従う従属的な子どもの区別が生まれて、支配的な方が行動を支持する。ただ階層性が存在しても、協力し合ったほうが一番得をすることが理解されており、協力を促す指示を出す。

この実験で観察された高次の利他性が人類特有の性質だとしても、なぜそれが言語発生までの長い道の契機になったのだろうか。極めて単純化して言ってしまうと、Tomaselloは人類(Homo)だけが、同じゴールを達成しようとする意図を共有する能力を発生させ、このおかげで新しいレベルのコミュニケーションが可能になり、また利他性もこの能力をきっかけに誕生したと考えている。前回述べたチンパンジーの集団的狩りで見られるexplosiveな協力でも、同じゴールを追いかけているように見えるが、実際には各個体は自分の欲求を満たすというゴールを追いかけている点で、意図を共有しているとは言えない。チンパンジーの狩りでは、各個体の脳内に表象されているゴールは利己的で個別の意図だ。強いて言えば、食べたいという強い感情を共通して持っているだけだ。従って、先に述べた実験からわかる、将来の利益のために他人だけが獲物を得るという状況を我慢できる利他性をチンパンジーは持ち合わせていないことになる。

私自身にとっても、この「意図の共有」能力が類人猿と、人類を分ける分岐点に存在するという考え方は納得できる。そこでTomaselloがBehavioral and Brain Scienceに発表した総説をもとに、「意図とは」「意図の共有とは何か」を考えてみよう。

例えば、近くで発見した鹿をなんとか殺して肉にありつきたいと考えている古代人を考えてみよう。彼の頭の中では、殺した鹿がゴールとして浮かんでいる。しかし、目の前の鹿は生きている。ゴールを達成するためには、その時取り得る幾つかの可能性を考え、鹿を殺すのに最も確率の高い方法を決断する必要がある。いろいろ考えた挙句、近くの石を投げて動きを止めて、あとは飛びかかって首を締めようと決断すると、ここで初めて行動する意図が生まれる。もちろんうまくいく場合も、うまくいかない場合もあるだろう。このような、ゴールを目指して現実を変化させことが、意図的行為になる。

こんな風に考えるプロセスは人間だけでなく、チンパンジーにも存在する。どちらもゴールを達成すべく意図的行為を繰り返し、その成否を記憶することで、鹿を手に入れるための方法を学習する。ただ、例えば石で鹿の動きが止まる確率が低いことがわかると、当然他の個体が棒を持って近づいた方がうまくいきそうだ。しかし一人では石を投げるだけしかできない。他の個体と協力するするしかない。

ではこのような協力を成立させるのに何が必要か?

  1. 1)まず肉を食べたいという欲望の共有が必要で、これはサルの狩りでも観察できる。
  2. 2)生きた鹿を見ているだけでは欲望は満たせない。欲望を満たすには、殺された鹿をゴールとしてともにイメージする必要がある。これも恐らくサルでもできる。
  3. 3)難しいのは、一人が石を投げ、もう一人が棒で叩くというプランニングを可能する過程だ。感情とゴールを共有した上で、鹿をハントするという明確な意図を共有し、私が石、君が棒と取り決めることで初めて効率のいい狩りが成立する。

この3番目のプロセスを、Tomaselloのいう意図の共有と言っていいと思う。これが可能になるためにどのような脳回路の変化が起こる必要があったのかを明示するのは難しい。しかし、この回路の差が、その後の類人猿と、人類の脳構造の大きな差を生むことになる。図3に示すようにチンパンジーと人間の脳は、サイズ、特に前頭葉のサイズに大きな違いが見られるが、この進化の引き金も、意志の共有が可能になった結果なのかもしれない。事実、ロンドン大学のDunbarらは、類人猿や人類の前頭葉のサイズが、その種が生活している
グループのサイズと比例することを示し、コミュニケーションの必要性が脳の発達を促した
ことを示唆している(http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/004724849290081J?via%3Dihub#!


図4 人間とチンパンジーの脳。構造は同じだが、前頭葉が人間では著しく発達しているのがわかる。この差は、人類が類人猿から別れた後、急速に進化してきたものだ。(出典:Wikipedia)

この意図の共有を新しいコミュニケーションの様式の発生と言っていいだろう。Tomaselloは意図の共有が発生する生後の発達についても詳しい研究を行っているが、詳細はBehavioral and Brain Scienceを読んでいただきたい。ただ、このような研究の背景には、Tomaselloに限らず、子供の発達を研究している研究者一般が持っている「系統発生は個体発生を繰り返す」という考えがあると思う。

そこで次回は、「意図の共有」を切り口に、コミュニケーション能力の個体発生と、系統発生の比較をしてみよう。

[ 西川 伸一 ]

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