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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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なぜ言語の発生時期を5万年前後と考えるのか?

2018年3月1日

前回述べたように、言語発生に必要な脳の条件は現生人類誕生よりずっと以前に整っていたと考えている。ただ、現在私たちが日常使っているような言語、すなわち話し言葉を基盤とする言語(ここではspeech language:S言語と表す)となると話は別だ。すでに議論したように、S言語では脳内に表象される対象と何の関連もない音節がボキャブラリーとして対応し、しかもその対応が異なる個体間で共有される。これまで述べてきたように、これが可能になることで、無限の表現力が我々に備わった。しかし、おそらく小難しい議論を必要としない狩猟採集民の生活には、ジェスチャーや、一種の赤ちゃん言葉の発声で十分間に合ってたはずなのに、S言語への指向性が生まれるにためは、より高いレベルのコミュニケーションが要求される状況があったと考えられる。

マイスタージンガーモデル」では、複雑な道具作りを教えるという状況で生じた様々な必要性がS言語誕生を促したと考えている。今回の補足では、これが5万年前に起こったとなぜ考えているのかについてその理由を説明してみたい(断っておくが、これはあくまでも個人的な意見だとしてお読みいただきたい)。

現生人類の発生と移動

先に答えから明かそう。私が考える5万年という数字の由来は、我々の先祖ホモサピエンス(サピエンス)がアフリカで誕生した後、ヨーロッパへの進出を始めた時期から算定した数字だ。すなわち、この時期にS言語が初めてサピエンス、特にシナイ半島に住んでいたサピエンスに誕生したのではと想像している。なぜS言語の誕生とヨーローッパへの進出が重なるのか?

これまでに発見されたサピエンスと思われる最も古い骨は、ライプチヒ・マックスプランク人類進化研究所の研究者たちによりモロッコIrhoud から発見され、31万年前の骨と特定された(Hublin et al. Nature 546:289, 2017)。この発見により約70万年前にネアンデルタール人(以後ネアンデルタール)からアフリカで分離したサピエンスが、南、東アフリカだけでなく、モロッコの位置する地中海の西の端までアフリカ中に広く分布していたことが初めて確認された。すなわち、人口が増え、繁栄を遂げていたと思われる。

2つの出アフリカルート

こうしてアフリカの隅々に分布したサピエンスは、15万年前にアフリカを出て、まずアジア、オセアニア方面に移動を開始する(図1)。


図1: 『Science』に掲載された総説をもとに(Science 358: DOI: 10.1126/science.aai9067, 2017)筆者が作り直したもの。サピエンスと確認できる遺跡が存在する場所とその年代をつないで移動ルートを割り出している。

図1はサピエンスがユーラシア進出にたどった2つのルートを示しているが、ホモサピエンスによる可能性が高い遺跡を古い順につないでいくと、このルートが見えてくる。中でも最初のステップ、すなわち出アフリカだけに焦点を当てると、両方のルートでそれほど時間差はない。アフリカ以外で見つかる最も古いサピエンスの骨はイスラエルで約16万年前のもので、アラビアルートとほぼ同時期か、あるいはより古い時期のサピエンスだ。すなわち、両方のルートでサピエンスの出アフリカが15万年前には始まっていたと考えられる。

最近『Nature』に、30万年前ぐらいの地層から、直立原人由来とは考えられない進んだ石器が出土したことが報告された(Nature 554:97, 2018)。この石器がサピエンス由来で、ネアンデルタール人やデニソーワ人でないとする証拠はないが(人骨が発掘されていない)、明らかに著者らは、サピエンスが定住はしていなくても、インドにかなり早くからに到達していたと結論したそうに思えた。今後発掘が進むと、アラビア・インドルートは早くから完全に開いていたとする結果が出てくる可能性があるが、現在まで得られている最も確実な証拠に基づくとサピエンスのアジアへの移動は15万年前後に起こったとするのが適切だろう。

さて、15万年前は地球がかなり冷えていた時期でおそらく現在より6度以上温度は低かった。しかしその後急速に温暖化が進み、13万年前にはほぼ現在と同じような気候になったと考えられる。この急速な温暖化は、13万年前から急速にサピエンスがアジアに移住を始める一つの理由になったと思われる。その後、オーストラリアには6.5万年前に到達しており、インドを経由するサピエンスの東進を阻む他の人類はいなかったと思われる。

閉ざされたシナイ半島ルート

ところが、図1を見ていただくと地球が温暖化して出アフリカが加速した時期にも、シナイ半島からヨーロッパへのルートは5万年前まで全く閉ざされていたことがわかる。図2は、図1に示した地図状にネアンデルタール人の分布を筆者が書き加えたものだが、サピエンス進出のヨーロッパルートとネアンデルタール人の分布が一致する。異論もあるとは思うが、シナイ半島ルートが5万年まで、全く開かなかった理由は、ヨーロッパルートに分布していたネアンデルタール人が、サピエンスのシナイ半島からの北進を阻んでいたのではないかと想像できる。


図2:図1にかぶせてネアンデルタール人の分布を重ねてある。

先にも述べたが、アフリカ外で発掘された最も古いサピエンスの骨は16万年前のイスラエルカメル山近くで発見された骨だ(Hershkovitz et al, Science 359: 2018)。すなわち、シナイ半島ルートは、アラビア・アジアルートと同じくかなり早い時期にサピエンスが進出したにもかかわらず、ネアンデルタール人の存在により10万年以上もの間、行く手を阻まれていたと考えられる。

図3『Nature』 に掲載された記事(Mellars et al.Nature 479:483, 2011)をもとに、筆者が作り直した図で、サピエンスのヨーロッパ進出の3本のルートを示している。

ではなぜ5万年前にこの均衡が破れたのか?

私自身はこの理由を、話し言葉を基盤とする言語(S言語)がシナイ半島でサピエンスだけに誕生したからと考えている。

サピエンスのヨーロッパ征服の理由

まず図3に示した、ヨーロッパへのサピエンス進出を見てみよう。これまでヨーロッパ内で発見され、ゲノム解析がほぼ完全に行われたのは、ルーマニアで発見された約4万年前のサピエンスの骨で、なんと6−9%のゲノムがネアンデルタール人由来であることがわかっている(Fu et al. Nature 524:216, 2015)。このことは、サピエンスのヨーロッパ進出が、ネアンデルタール人と常に接しながら進んだことを物語っている。さらに、4.4-4.2万年前にサピエンスがイギリスやスペインにすでに達していたということは、かなり短い期間でヨーロッパ全土の征服を成し遂げたことになる。

この背景として、1)ネアンデルタール人の生存が特異的に脅かされる自然要因、2)ネアンデルタール人との交雑によるサピエンスのヨーロッパへの適応、そして3)サピエンスに起こった文化・技術の大きなイノベーション、などが考えられる。

自然条件についてみれば、5万年以降地球は温暖と寒冷の間をめまぐるしく行き来した時期だ。また、7万年前には現インドネシア・トバ山の大噴火、また4−5万年前にはイタリア・ナポリにあった火山の大噴火があり、ヨーロッパの気候はめまぐるしく変化したと考えられる。これによる食物の減少は、ネアンデルタール人の住む北部でより大きな影響を与えたと考えられ、サピエンスの進出を促した可能性は否定できない。

ネアンデルタール人との交雑により、サピエンスが寒冷地で生存できるよう適応した可能性もある。事実、我々現代人も、ネアンデルタール人から寒冷地で生きるための様々な遺伝子を受け継いでいることが明らかになっている。ただ、サピエンスとネアンデルタール人の接点で暮らす人類にネアンデルタール人遺伝子が高い比率で流入しているとすると、なぜ10万年以上両者の均衡が崩れなかったのか理解しがたい。おそらく、この要因はヨーロッパ征服にそれほど貢献していないのかもしれない。

こう考えてくると、結局5万年前のサピエンス優位は、文化的、技術的な要因が大きいと考えられる。要するにサピエンスがネアンデルタールには真似できないイノベーションを成し遂げた結果、それまで続いた均衡が大きく崩れたという可能性だ。またこの差が、そのままネアンデルタール人の絶滅に続いていくことになる。

ネアンデルタール人とサピエンスの差

事実、ネアンデルタール人がサピエンスより劣っていたと考えている研究者は多く、

  1. 1)サピエンスの遺跡に残された石器(オーリナシアン石器など)は、ネアンデルタール人の遺跡に残される石器(ムスティエ石器)と比べると、機能的に凌駕している。
  2. 2)この結果として、武器のイノベーションもネアンデルタール人はサピエンスに劣っていた。
  3. 3)ネアンデルタールの集団はサピエンスと比べると少人数だった。
  4. 4)ネアンデルタール人の遺跡には、絵画や装飾がなく、言語能力が発達していなかった。
  5. 5)サピエンスと比べて、より少人数の集団しか形成していなかった。

などがこれまでその理由としてあげられている。

しかし最近になって、まだサピエンスがヨーロッパ進出を果たしていなかった時期のネアンデルタール人の遺跡から、これらの根拠を否定する証拠も出土して、ネアンデルタール人は技術やイノベーションで劣っていなかったと主張する研究者も増えてきた。

確かに考えてみると、もしサピエンスの技術的優位の条件が5万年より前に整っていたとして、10万年以上も接触しながら、この優位性を支える技術、例えば新しいタイプの武器が相手に伝わらなかったと考えるのは難しい。

事実、スペインにある進んだ石器で知られるシャテルペロン文化がネアンデルタール人由来であることが示されると、進歩した石器は自分で作れなくても、当時簡単にネアンデルタール人が手に入れることができた結果だと説明されている。したがって、技術の差がサピエンスに絶対的優位をもたらせたと単純に結論できるのか怪しくなってきた。では、何がこの均衡を破ったのか?

S言語がサピエンス優位性の源

証拠があるわけではないが、このサピエンスの優位性がS言語の獲得ではないかと私は想像している。

まず、言語は他の民族を征服するための強力な武器になることは、すでに歴史が証明している。最も大規模な移動は、現在のウクライナ付近で暮らしていたYamnaya人のヨーロッパへの移動だろう。Yamnayaとの交雑により現在のヨーロッパ人の遺伝的構築が形成されるが(Allentoft et al. Nature 522: 167, 2015)、この移動とともにインドヨーロッパ語がヨーロッパ全体に広がったことは、言語が民族の優位性を決める大きな要因であることを物語る。

さらに、石器と異なり言語は教えてもらわない限り、簡単に盗めるものではない。実際、地球上のこれほど多くのS言語がある最大の理由は、S言語が他の部族に理解できないように、伝達が規制されているからだと考える研究者は多い。このように相手にもS言語が生まれない限り、S言語獲得で生まれた優勢が崩れることはない。

S言語の誕生がサピエンスに絶対的優勢をもたらし、これによりネアンデルタール人と現代人のシナイ半島でのバランスが壊れたとすると、S言語の誕生はこのバランスが壊れた5万年前と算定できる。

[ 西川 伸一 ]

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