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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【スペインで拾ったこと 】

2001年11月15日

先月、遅い夏休みをもらいスペインに行って来た。
スペインは美術館の宝庫。毎日毎日たくさんの作品を感動が麻痺する程見た。
ピカソ、ミロ、ダリ、ガウディ、、、。ついでにフラメンコも。「人が表現する」ことについて深く考えるもとを拾った旅行だったと思う。(ちなみに私は科学を表現することが本職と思っている。)
私は美術史というものに疎い。しかしタイムリーに旅行前、DNA2で一緒に仕事をしているキメックの村田さんに絵の歴史を教えてもらった。ものすごくはしょると「昔は絵描きなんて職人で、個人ではなく工房で行っていて、それが写真が出てきてどうする?ということになって印象派がでてきて、、、」という話だったと思う(違うかもしれない、、、)。時代と重ねて絵を見ると、作品より表現する側の事情に目が向き、おもしろーい、と思って出かけた。
スペインは宗教画から始まり印象派の後にでてきた前述の人達を多く輩出した土地としても有名である。彼等はいわゆる現代美術とはちょっと違うように思う。ついでにスペインには現代美術作品もたくさんあり、歴史が追える。絵の歴史に注目して絵を見るという楽しさを教えてもらったばかりだったので、作者の意図について常に思いを巡らせながら実際に作品をみることができた。
膨大なプラド美術館の宗教画、これはまさに聖書のビジュアル化である。聖書の意味を伝えたかったし、表現したかったのだろう。キリスト教の背景のある人が見ると、絵解きができ、より表現者の意図を読み解けるのだろう。キリスト教の深い背景のない私でも、それなりに楽しめる。そして、ピカソのゲルニカ、ミロの月や星等が散らばった絵、これらも作者が伝えたいことがこちらにある程度伝わってくる。しかし、芸術を理解できないだけかもしれないが、現代美術は良くわからない。本人の美的価値観の表われなのかもしれないが、作品を見た時にどうも自分の中に感情のとっかかりを見いだせない。
科学のビジュアル化って何だろう?そしてそれはどう受け止められるのか?考えながら見てきた。キリスト教を知らなくて宗教画を見る、これが私達の展示や映像を見た人の気持ち?伝えたいということを表現する以上は責任があるんだよなぁー、などである。
何もわからない私が出した結論は、抽象的すぎると受け取る側のイメージをかえって狭めるのでは?ということ。つまり少し、何かとっかかりがないとダメなのである。
私は展示や映像の案を副館長に持っていくと、これじゃあ、何が伝えたいのかわからない!とよくしかられる。もしかして私はうっかり現代美術のようなことをやっているのか?と背筋が、、。結局、素直につらつらと並べるだけでいいのではと思ったが、それでは文章(言葉)がもっとも優れているではないか!ということで、ビジュアル化しても意味がないことになってしまう。いわゆるインタラクティブな展示ではなく、読み解く楽しさを与える展示パネルづくりを私はしたいのだろう。静かなインタラクティブなのである。悩みは深まるばかり。しかし作り続ければ、棺桶に入る頃に納得できるのではないかと思っている。
[工藤光子]

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