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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【〜私の生命誌研究〜 客観性を支える主観性】

2017年6月1日

竹内 啓一

初めまして、今年三月より生命誌研究館にて展示ガイドスタッフとしてお世話になっております、竹内啓一と申します。ガイドとしてはまだまだ未熟で、先輩方にご教示いただきながら精進してまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

私は幼少より生き物が好きで、物心ついたころにはダンゴムシを集め、虫が苦手な母を困らせていた記憶があります。その後も「大人になればやめるだろう」という周囲の期待を丁寧に裏切り、早30年。友人たちから「虫」(あだ名)と呼ばれるに至りました。大学院では、「昆虫と腸内微生物の共生」や「外来種の侵入による在来種への影響」など、環境と生き物のつながりを中心に研究させていただいておりました。

そういった人生の中で私が重要視してきたのは、物事をどう捉えるかという主観性です。科学というのは客観性を至上命題に進める心理を探求する方法であります。なるべく主観性を排除し、誰からも明白である客観的事実のみを明らかにすることこそが科学の本質であるわけです。しかしながら、同時にその「もっと世界を知りたい」「もっと世界を良くしたい」という根源的な衝動は客観性を超越した主観的な感情に他なりません。これは大きな矛盾であると同時に、なくしてはならない物であります。多くの人にとって生物とは一部の愛玩動物や食料等を除けば、時として邪魔な物で、いることさえ気づかない物であるわけですが、それをただの物質と見るか、不可思議を紐解く存在と見るかで世界の見え方は変わってくると思うのです。

多くの博物館というものは、科学を伝えるというその性質上、主観性を除いたものになっているところが多いと思われます。そんな中、私がこの生命誌研究館に訪れて感じた物は、「主観性」でした。どこか実在する私の(もちろん貴方の)生活とかけ離れた「生物の歴史」というものを、より身近で肌で感じられるように表現されており、そこには私が重要視してきながらも曖昧であった科学の根源であり原動力であり面白さというものが存在していました。

まだまだ未熟な私ですがそんな「肌で触れられる生命誌」を少しでも皆様にお伝えしていけるように精進してまいりますので、ともに生命誌研究を覗き見ていただけますと幸いです。

[ 竹内 啓一 ]

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