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みんなの広場

生命誌について

2025.10.22

いのちを繋ぐ

参照記事「研究館より」

柏原瑞可

中村先生のお言葉、心にしみいりました。
最近、伯父夫婦の介護に携わる(手助けする)ようになったのですが、まさに「手」の意味や役割を実に様々な場面で感じます。
書類にサインするとき、掃除や料理、片付けの場面、
階段の上り降りや自動車への乗り降り等々ありとあらゆる状況において、無意識のうちに手は先に動いている。手ほど他人を支えているものはないことに初めて気がつき、驚いてます。
かたや世界中で「機械に替えられる手」によって、毎日多くのいのちが奪われ続けている。
手はいのちを繋ぐ、という本来の人間の手の役割について、多くの人々が気づくことができたら、と切に願います。

2025.10.23

1. 中村桂子(名誉館長)

柏原瑞可様
 手について一緒に考えて下さってありがとうございます。看護は、手の大切さを教えてくれますね。手を通して気持ちが伝わる場面がたくさんありますもの。手は語るのですね。
 階段での手の役割は、最近の実感です。駅の階段は必ず手すりを持ちます。格好悪いなどと思わないことと言い聞かせて。おサルさんは、前足で枝をしっかりつかみ、木の間を自由に動き回ります。手すりを掴む手は、この時と同じ役目。家の庭が崖で複雑な階段になっていますので、そこの上り下りには、手を前足のように使い、安全を守っています。歳を取っての先祖返りかなと、生きもののつながりを感じながら。手を大事にしましょう。
                         中村桂子

2025.10.29

2. かも

笑い話と思って聞いて下さい。
私は、子供の時分から、どうしても野球が出来ませんでした。
あの細いバットで小さなボールをどうやったら打つことが出来るのか未だに解らないからです。
しっかり目で見てバットを振る高さやタイミングを合わせてやってもどうやったら当たるのか想像が出来ないのです。
ここだと思って振ったときには大抵ボールは既にキャッチミットにに収まっています。
高いフライを捕るときにも、グローブをしっかり構えて、前進したり後退してもオケラバックと笑われて上手くキャッチできませんでした。
そんなわけで未だにどうしたら良いのか解りません。
バレーボールでも、手を伸ばして前進してもうまく弾き返すことができません。
どれだけ動くかの調節が理解できないから動きが止まってしまうでする
体を動かすときに、考えなくても出来ることの重要性というか原理を考えると、途方に呉れるばかりです。
高齢化というのも、考えなくても出来ていたことが、考りえた通りにに出来に出来ないことや、考えても出来なくなることへの道筋なのかと考えると、その覚悟こそと考え込むことしきりです。
暗い話になってしまいましたが、昨今の実感です。

2025.10.29

3. 中村桂子(名誉館長)

かも様
 運動が苦手でいらしたのですね。どのように苦手かをこれほど細かく教えていただいたのは初めてなのでなるほどと思いました。実は私は、他はともかく反射神経だけはあると思って暮らしてきました。一番の得意は「百人一首」で、読み手の最初の音にパッと反応するのが好きでした。だからと言って日常にそれが特別活かされるわけでもなく過ごしています。かもさんも、同じように日常をお過ごしなのだろうと思います。いつも書いて下さる文を思いだすと、ゆっくりお考えになるのはお得意でいらっしゃるように思いますので、それを活かしてよい日々を送っていらっしゃるのではないかと想像します。歳の取り方は、人それぞれですので、あまり先を思い煩わずに今を生きるのがよいのではないか。そう思っています。少し先輩ですのでちょっと偉そうに書きました。余計な事でしたらお許しください。
                       中村桂子

2025.11.11

4. かも

お忙しい中早速ののご回答有り難うございました。
余計なことだなととんでもないことです。大いなる励ましと受け取らせていただきました。
私のスポーツ音痴にな後日談があって、中学高校では苦労しましたが社会に出て仕事に就くようになるとさすがに運動音痴お笑い話で済むようになりました。運動神経は駄目だけれど、独身寮で駅伝の練習をするようになって思わぬ力を発揮して孫には、じいちゃん若い頃には1km 3分27秒で走ったぞと語り草にしています。
昔は、走っているだけなら運動神経は要らんからな等とからかわれて居たのですが、時代が変わったものです。
其れででも、運動音痴の劣等感を読書で埋め合わせて、大量の本を読んでいたことが長い人生では大きな力になりました。
若い頃体力に自信があった分老化が身に沁みて感じられる今日この頃です。
何でこんなところで転ぶかと。
熊が大変なことになっています。
マタギが、毎年冬になると山に籠もって熊を狩猟していた時代がすっかり変わってしまって、熊が火薬にも人間の匂いにも恐れなくなってしまったという感じがします。
保護と称して、麻酔銃で捕まえて山に放してしまったのでは人を恐れる体験の機会がなくなってしまいます。
共存できない自然界の厳しさがあると実感します。
単に、餌不足の問題ではないでしょう。
人間を襲う熊の容赦なさをしっかり理解すべきですね。

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