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  3. 季刊「生命誌」115号
  4. ACADEMIA ゲノムが紡ぐ生きものの個性と関係性
SPEAKER
  • 小田広樹 (おだ ひろき)

    専門分野は発生細胞生物学。ショウジョウバエをモデルとした細胞間接着分子カドヘリンの研究から、脊椎動物と節足動物の違いに関心を持ち、節足動物門の中で昆虫から系統的に遠く離れた動物を探す中でオオヒメグモに出会い、その胚発生に魅せられ、このクモを材料とした研究を2000年にスタート。系統的位置の重要性に加え、オオヒメグモのもつ研究遂行上便利な特性や、様々な実験技術及び数学表現との相性の良さ、得られる知識の新規性・有用性などから研究が発展した。カドヘリンの研究では、動物の系統によって分子の長さが異なり、祖先状態が長く、派生状態が短いことを見出した。動物の胚発生と細胞間をつなぐ構造の仕組みを調べることで、多細胞動物の進化の向きを説明する理論の構築を目指している。

    ■研究内容 発生生物学、細胞生物学
  • 河野暢明 (こうの のぶあき)

    専門分野はバイオインフォマティクス、合成生物学、ゲノム科学であり、情報と実験を組み合わせたアプローチで分子生物学研究を進めてきた。情報生物学としての研究では、オミクスデータをブラウズするウェブアプリケーションや、シーケンスデータの解析アルゴリズムの開発を行う。実験生物学では、合成生物学による微生物のゲノムデザイン原理の探求、分子生態学による一時社会寄生種アリの寄生戦略理解や、変形菌が自他を認識する分子機構の解明を目指している。近年はゲノム科学・高分子科学により、天然構造タンパク質の利活用に資するゲノム科学研究を進めている。クモが自然界で作る糸の強さを人類はまだ再現できていない。またそもそもなぜクモがこれだけ強い糸を作れるようになったのか分かっていない。こうした分子進化の背景を解明すべく、ヒトゲノムに匹敵するほど巨大なクモゲノムを決定し、新規糸遺伝子の網羅探索、クモ糸タンパク質の再現に挑んでいる。

    ■研究内容 バイオインフォマティクス、合成生物学、ゲノム科学
  • 秋山-小田康子 (あきやま-おだ やすこ)

    専門分野は発生生物学・分子遺伝学。卵からどうやって体ができるのか?という問いに答えたいと思い、卒業研究ではアフリカツメガエル、大学院ではショウジョウバエを対象に研究。ある時ラボに連れられてきたオオヒメグモの卵の美しさに心打たれ、これを研究しようと決意。遺伝子の発現や機能を解析するための実験系を立ち上げ、体軸形成や体節形成など胚発生の初期に起こる現象を研究してきた。球形の卵に非対称性を生み出す遺伝子の発現や細胞の動き、体節の繰り返し構造形成のための遺伝子発現の波の存在を明らかにした。次はこれらを実現する分子ネットワークがゲノムにどう書かれているのかを明らかにしたいと思う。さらに、それが進化の過程でどのように変化してきたのかを理解したいと思っている。

    ■研究内容 発生生物学
  • 古澤力 (ふるさわ ちから)

    専門分野は生物物理学・普遍生物学。プリゴジンの散逸構造など、非平衡系における自己組織化現象に興味を持ち、そうした系の中で自分にとって最も面白そうな生物システムの理論研究を始める。力学系を背景とした細胞分化モデルの研究で学位取得後、実際の生物システムを触って解析したいと思い、幹細胞分野の実験研究に加わる。その後、いろいろと紆余曲折を経て、微生物の代謝システムの解析や進化研究を始める。特に微生物の進化実験を用いた解析により、進化ダイナミクスを適切に記述する方法論や、進化を予測し制御する手法の開発を進めている。理論研究と実験研究を有機的に統合することにより、生物システムが持つ普遍的な性質の理解を目指している。

    ■研究内容 生物物理学、理論生物学
  • 市橋伯一 (いちはし のりかず)

    専門は進化合成生物学。大学院では黄色ブドウ球菌のDNA複製の研究をしていたが、あまり楽しくなくなってきたので合成生物学の研究に転向した。博士研究員のときにRNAを自己複製させて進化させることのできる実験系を開発し、それ以来、断続的にずっとRNAを進化させている。だんだん今まで起きなかった進化現象が起きるようになってきて楽しい。最近はもっと天然生物に近いものを扱いたくなってきたので、DNA複製、転写、翻訳機構(要するにセントラルドグマ)を持つ自己増殖するシステムをデザインベースで作り始めた。こうした進化とデザインによって生命みたいなものを作りだす研究によって、地球生物に限らない生命の可能性を探求したいと考えている。

    ■研究内容 構成的システム生物学、進化合成生物学
  • 尾崎克久 (おざき かつひさ)

    大学入学時は花の研究をするつもりでいたが、昆虫学の講義が面白すぎて、その先生の指導を受けたいと昆虫学研究室に所属。研究を通じて、戦後に日本に持ち込まれた昆虫「アメリカシロヒトリ」が数十年で日本の環境に適応して生物カレンダーを変化させたことを目の当たりにし、生物が環境と関わり合いながら命を紡ぐ様子を深く知りたいと考えるようになった。農水省時代に、植物病原性のカビがウイルス感染によって病原性を失い無害化する現象の研究に携わり、他の生物の存在こそが最も重要な“環境”であると考えた。吉川寛元顧問よりアゲハチョウを扱う研究室の創設にお誘い頂き、まさに取り組みたいと考えていた課題であると直感した。アゲハチョウを研究材料として、植物とどのように関わり合いながら【生きている】のか理解するため、昆虫学・分子生物学・生命情報科学・機械学習などの技術を道具として取り入れ、解明に挑戦している。

    ■研究内容 進化生物学、昆虫学
  • 藤原晴彦 (ふじわら はるひこ)

    専門分野は進化遺伝学・分子生物学。大学院時代は、rDNAに転移する利己的遺伝子などを研究していたが、博士終了後は一般の人が興味を持ちうる研究対象として昆虫の擬態に着目。当初はカイコ幼虫の紋様形成を研究していたが、擬態の宝庫ともいえるアゲハチョウの擬態に研究をシフトさせた。幼虫の紋様が鳥の糞型から食草型へ切り替わる現象や、蛹の体色が周囲の環境に応じて緑や茶色になる現象を長らく研究した。最近になり、ダーウィンの時代から興味の持たれていた「メスだけがベイツ型擬態をするシロオビアゲハ」の擬態の原因領域が超遺伝子であることを解明した。超遺伝子の特殊な構造と機能は今も多くの研究者が注目している。現在は大学院時代の研究とのつながりで、遺伝子治療を目指すベンチャー企業を創業し、研究指導を行っている。

    ■研究内容 進化遺伝学、分子遺伝学
  • 吉田聡子 (よしだ さとこ)

    専門分野は植物分子生物学。植物と環境や他の生物との関わりに興味があり、シロイヌナズナの緑葉の老化やミヤコグサを用いた根粒菌や菌根菌との相互作用の研究を経て、2006年よりハマウツボ科寄生植物の寄生機構の研究を始めた。アフリカで甚大な農業被害をもたらしている寄生雑草ストライガのゲノム解析から、寄生植物が宿主植物から水平伝播によって遺伝子を得ていることを見出した。寄生の分子機構を解明するために、日本に自生する寄生植物コシオガマを用いたモデル実験系を構築し、寄生遺伝子の解析を進めている。宿主植物と維管束を連結して栄養を獲得する寄生植物が、どのように宿主を認識し、侵入し、宿主と連結するのか、寄生植物はどうやって寄生能という特殊な能力を身につけたのか、これらの疑問を解明したい。

    ■研究内容 植物生理科学、分子生物学
ACADEMIA

ゲノムが紡ぐ生きものの個性と関係性

ゲノムが紡ぐ生きものの
個性と関係性

SPEAKER
  • 小田広樹 JT生命誌研究館

  • 河野暢明 慶應義塾大学

  • 秋山-小田康子 JT生命誌研究館

  • 古澤力 理化学研究所/東京大学

  • 市橋伯一 東京大学

  • 尾崎克久 JT生命誌研究館

  • 藤原晴彦 東京大学名誉教授

  • 吉田聡子 奈良先端科学技術大学院
    大学

プロフィール・研究内容はこちら

1.はじめに


近年、飛躍的に発展したゲノム解析技術を駆使して、分子、細胞から進化、生態系まで、独創的な研究を展開する8名の若手研究者が集い、プレゼンテーションとディスカッションを繰り広げました。本項では、「座談会」で交わされた研究者それぞれの「声」を伝えます。生きもの研究の明日をつくる仲間への熱い呼びかけです。
本シンポジウム開催への思いを込めた一文です。
生命誌30年、はじまりは遺伝子の構造とはたらきが垣間見えてきた頃。
今、ゲノムの情報を得ようと思えば得られる時代、どんな生物種であっても。
色々な生きもののゲノムが読まれれば読まれるほど、生きものがそれぞれ違うのだ、と知らされる。

ゲノムに基づいた発展で、違いを挙げ連ねることは簡単になった。
しかし、違いを理解することは難しい。
「違い」は個性を生み、関係性を育む。
数学、物理学、化学、工学など、あらゆる学問を総動員して、「違い」を深く理解したいと思う。

その先に、生きものの本当の面白さが見えてくる。

 

JT生命誌研究館 小田広樹

講演当日の一部についてはYoutubeでご覧になれます。
 






2.壇上座談会 前半
 (小田広樹 × 河野暢明 × 秋山-小田康子 × 古澤力)

小田

それではここから壇上談話会ということでちょっと趣向を変えまして、講演者の方に今日はご自身の研究への向き合い方についてお話しいただきたいと思っています。

小田広樹(おだ ひろき) JT生命誌研究館

Q1.研究で楽しかったこと

小田

これまでの研究の中で皆さんが一番わくわくしたのはどんな時でしょうか。例えば、何かを発見したり、思いついた瞬間などありますか。

河野

今日のお話で言えば、ゲノムからクモ糸の遺伝子の全長配列を探すのですが、長さが10キロベース程あり、シーケンサー*で一度に読めるギリギリの長さです。そうすると、配列の最初の頭だけ、端のお尻だけの断片的なデータしか取れないこともしょっちゅうで、トライアンドエラーを繰り返して、ついに頭からお尻まできれいに収まったデータが取れた時は一番興奮しました。
*シーケンサー…塩基配列を読み出すことができる解析装置のこと。


河野暢明(こうの のぶあき) 慶應義塾大学

小田

それからだんだん研究が進んできて、今はもうその発見に慣れてしまった感じですか。

河野

刺激に慣れてしまったということはあるかもしれません。長く続けているとある程度勘が働くようになるということもあります。今はもっと長い50キロベース以上あるクモ遺伝子を探す旅に出ているんですが、そのシーケンスデータ解析をしている時は未だにワクワクしますね。

小田

続いて、秋山さん、今までで一番わくわくしたのは?

秋山-
小田

やっぱりクモですね。私はクモ胚の発生が面白そうだと思ってオオヒメグモを扱い始めたのですが、初めは思うような結果が出なかったんです。当時登場したばかりのRNAi*を知って、ショウジョウバエや脊椎動物で背腹の軸を決めるときに働いている遺伝子のノックダウンをクモで試してみたら、絶対何か起こっていると期待できるような形態変化が見られました。その時は「クモを使ってすごいことが見える!この研究を続けていいんだ。」と興奮しました。
*RNAi…タンパク質機能を解析のために、遺伝子発現をノックダウンする手法


秋山-小田康子(あきやま-おだ やすこ) JT生命誌研究館

小田

ちょうどあれは2004年でしたね。僕がナメクジウオの採集で中国に行って研究室を留守にしていたのですが、電話でその連絡を受けました。

秋山-
小田

そうですね。ちょうど小田さんが出張でいない上に学生さんも誰もいなくて、実験室に一人だったのを覚えています。たまたまいた技術員さんになかなかその感動を伝えられず一人で胸を躍らせていました。今思い返すと全く新しい機能解析という技術を用いて、クモの性質とマッチした実験スタイルが組める可能性という、うまく言葉にできないような未来が広がった瞬間に私は感動していたんだと思います。

小田

次は古澤さん、進化実験の研究を続けてきた中で一番ワクワクする瞬間は何ですか。

古澤

私は理論研究の人間なので、頭の中で因果関係を切り出せた瞬間がすごく好きでした。人間はコンピューターの中にある沢山のデータから、高次元のデータをダイレクトに見ることはできません。3次元までしか把握できない。大腸菌を用いた実際の実験で得た何千もの遺伝子の発現量や配列の変化を含むデータの中から、適応能力の進化のルールを示唆する関係性を見出すためには、複雑な高次元データの果てしない選択肢の中からなんとか上手い切り口を探り当てなくてはなりません、それが「わかった!」となる瞬間が好きですね。


古澤 力(ふるさわ ちから) 東京大学/理化学研究所

小田

コンピューター上でデータを集めている最中にはない面白さですよね。

古澤

データを集めている最中はあまり面白くないのですが、進化実験はどんな結果が出るか全く分からないので、まず進化させてみようととにかく手をつけてみます。そうして出てきた沢山のデータから見える切り口を探すことは私にとってはかけがえのない面白さです。

Q2.もしも、こんな技術があったら

小田

次の質問ですが、現在の技術では難しいけれど今の時代からさらに技術が進んで、いずれできるようになったら是非挑戦してみたいという実験や、解析はありますか。

河野

実現はそう遠くないと思ってはいますが、やはりクモの遺伝子はしっかり解析できるようになるといいなと思っています。今CRISPR*という技術の登場により、かなりゲノム編集が簡単にできる生きものもいるんですけども、なかなか導入がするのが難しい生きものも多くいます。近い将来、それを難なくクモなどにも使えるようになったらいいですね。

もう1つは、これも実現は近いと思いますが、タンパク質や化合物を特定するシーケンサーが欲しいです。現在のナノポアシーケンサーは膜タンパク質を通過する物質の大きさや形によって流れる電極のパターンを検出して4種類の塩基ATCGを分別する仕組みです。最近はアミノ酸の20種類でも分別できるようになってきて、タンパク質のシーケンスも簡単にできると考えています。さらに、現在の質量分析のような技術を超えて、いろいろな物質を特定できる技術革新を期待しています。
*CRISPR…ゲノム編集ツール

小田

勉強になります。クモのCRISPRなど、私たちも同じ悩みを抱えています。実験室の飼育でクモの世代を回せてはいますが、いざ卵に何か操作をして、それを親に育てて、また次の世代を見るころがまだ難しいですね。もしクモにゲノム編集が容易にできるようになれば、違う世界が広がると私たちも思っています。続きまして秋山さん、どうですか。

秋山-
小田

汎用性のある技術ではありませんが、私はコンピューターや数学にあまり精通しておらず純粋に生物学の出身なので、多細胞生物やそのパターンについて数学などを取り入れた研究をより積極的に行いたいと思っています。もちろん、既にそのような研究をされている方もたくさんいますが、生物学においてもそれらを取り入れて、よりエレガントに洗練された研究ができると良いなと常に考えています。

小田

われわれのラボとしてもやはり生物に起こる現象を、最終的には数学的に説明できるようになることが一番重要ではないかと思ってやっています。次に、古澤さんはどうでしょうか。

古澤

この先、人類が地球外生物を見つける技術か、生命をつくる理論をつくるのか、どちらかのうまい切り口を求めています。最近、共同研究やプロジェクトが始まって、今、アストロバイオロジー(宇宙生物学)のプロジェクトに関わっているんですが、現在、エンケラドゥス*や火星から質量分析のデータを取り、そこにどのような物質が存在するかが分かりました。そのデータからどんな生物がいたのか、ちょっと考えてみて、って言われたんですよ。なかなか面白いテーマですけど、どうやってアプローチすればいいかなと悩んでいるところです。

今は機械学習を使うと、実現可能な全ての化学反応を羅列するようなことができます。実測された物質で、うまく代謝が回るようなネットワークや構造の予測を積み上げていくと、地球上の生物にとらわれない「生きているとはどういうことか」というところに最終的に到達できると、個人的には期待しています。
*エンケラドゥス…土星の第2衛星

小田

なかなかスケールの大きい話ですね。地球外生物の探索というような、誰もが夢とロマンを感じるテーマに対して生命科学がうまく糸口を提供できれば素晴らしいなと思います。

Q3.若い人に一言お願いします

小田

それでは最後に皆さんに、今の研究者やこれから研究者を目指す人に向けて一言お願いします。

河野

あんまり流行りに飛びつかないほうがいいですね。本当に自分の興味や好奇心という軸を持てるようなところをまず鍛えて、その後で何が好きなのかを見極めてほしい。流される勉強はしないほうがいいと思います。

秋山-
小田

本当に自分のわくわくすることは何かなっていうことを、真剣に考えて欲しいと思います。他の人と共有できる部分との兼ね合いもあるけど、それ以上に昼夜問わず自分がずっと取り組めそうなことを見つけられたら、それが幸せなんだろうなって思ったりしています。

古澤

学生には、好きなことをいろいろやればいいと言っています。世界をきちんと眺められる人になってほしいと思って指導しています。あとは50年後ぐらいまで引用されるような論文を書けるようになることは大事だと思います。

壇上座談会 前半についてはYoutubeでご覧になれます。

3.壇上座談会 後半
 (市橋伯一 × 藤原晴彦 × 尾崎克久× 吉田聡子)

尾崎

皆さん何聞かれるんだろうってすごく緊張していらっしゃいましたけど、あくまでも談話会という、皆さんの人柄が見えるような場にしたいと思ってます。怖い質問は出ないはずです。(笑)

尾崎克久(おざき かつひさ) JT生命誌研究館

Q1.研究で楽しかったこと

尾崎

本日は皆さんとても興味深い講演をしてくださりありがとうございました。まず初めに、普段行っている研究の中でここが楽しいっていうところがあったら教えていただけますか。

市橋

僕は進化を一から観察してみたくて、RNAという、遺伝情報をもつ物質だけを繰り返し自己複製させるシンプルな実験系を作りました。RNAの振る舞いやそこに書かれた遺伝情報がどのように変化してくるのかをみています。かなり自分の研究室に特異的な話になりますが、やはり進化実験をやっているので、MEGAという系統解析ツールを使って、PCの画面上で遺伝情報を示す塩基配列の変異を自分で探している時が一番楽しいです。そこにどんな進化の兆しがあるのか想像するとワクワクします。


市橋伯一(いちはし のりかず) 東京大学

尾崎

配列解析をするときの、ずらっと並んだATGCの配列の違いを探している時ですよね。原因遺伝子を見つけたときの嬉しい気持ちはわかります。続きまして、藤原さんは今までの研究生活の中で、わくわくしたことはありますか。

藤原

難しい質問ですね。自分自身が実験するっていうのは、50歳以降はあんまりなくなって学生や研究員と話をしながら進めることが多いのですが、一番楽しいのは、現場で実験を進めている学生や研究員と話して、全く予想していなかったことを聞いたときは心が躍ります。例えば昆虫の性を決定する因子として知られていたdsxという遺伝子が、たった一つでチョウの翅の模様を「擬態型」から「非擬態型」にする働きももつことがわかりました。こういう話を聞いた時は、自分で発見した時と同じくらい嬉しいです。


藤原晴彦(ふじわら はるひこ) 東京大学 名誉教授

尾崎

コミュニケーションをとることは大事だと思います。その分野に造詣が深いからこそ、他の意見がスッと刺さることってありますよね。次は吉田さんですが、普段されている研究の中で一番楽しい瞬間はありますか。

吉田

私の扱っている寄生植物の研究では何万という変異体のスクリーニングをやります。大量のゲノム情報を読んだだけでは、その結果から何がわかるのかがわからないことが多くその都度壁に当たります。それを何万回と繰り返していく中で、ものすごく綺麗な表現型の変異体を見つけたときや全く予想しなかった新しい遺伝子に出会った瞬間は、今までの苦労が報われて霧が晴れたような気分になります。


吉田聡子(よしだ さとこ) 奈良先端科学技術大学院大学

Q2.もしも、こんな技術があったら

尾崎

もし何も制約がなく、自由にやりたいことをやれるとしたら、何をしますか?私の場合、生物でも植物でも構いませんが、ある場所に完全なシミュレーションを作りたいと思っています。現在は昆虫と植物の関係について研究していますが、昆虫や植物だけでなく、捕食者や病原菌など、さまざまな生物同士の関係やネットワークが存在すると考えています。もし、このような生物の活動を完全にシミュレーションできたら、過去を見たり未来を予測したりすることができて楽しいだろうと思います。ただし、現在の技術では不可能です。もし原因や進化の仕組みを実験で証明できるようになれば、素晴らしいと思います。個人的には、そういったことを実現できたら嬉しいです。制約がない場合、どんな研究をしたいですか。

市橋

今の尾崎先生のお話はもう1個新しい世界をつくってそこで実際に観測するということですよね。

尾崎

はい。言ってしまえばもう1個、コンピューターの中に1個地球をつくってしまいたいなと。

市橋

僕は本当にお金があるんだったら、地球の反対側辺りにもう1個地球を作ってみたいです。ドラえもんに「地球創生セット」という似たような道具がありました。僕は生命誕生から見たいと思います。

尾崎

面白いですね、藤原さんは制限のないあらゆるリソースを使えたら解明したい事はありますか。

藤原

そんな大きなことは言えませんが、今日の擬態ということに関して言うと、モデルとなる種と擬態する種とでは表現型は似ているけれど、全然違うシステムでそれを実現しているんですね。例えば同じ白い色の模様でも物質自体が違うものを使っているので、最終的に収斂進化はどのように起こるのか、その仕組みの全てを知りたいです。

尾崎

僕も似た模様の蝶なのにゲノム上では全然異なっている擬態の収斂進化は興味深いところです。吉田さんは実現したいことはありますか。

吉田

難しい質問だと思うんですけど、寄生植物の中でいうと、今の疑問は寄生植物には結構エンドパラサイト*みたいな宿主の中でずっと過ごしている種がいます。ラフレシアなどもそうなのですが最後に花だけポーンって出るような。他の植物の中で過ごすってどういうことなんだろうということを解明したいなって思っています。 *エンドパラサイト(endoparasite)…宿主の内臓や組織に生息する寄生者

尾崎

寄生する生物って、宿主内で何が起きているのか不思議ですよね。生育条件を変えることなく、中で何が起きているのか丸ごとわかれば良いなと思います。

Q3.若い人に一言お願いします

尾崎

それでは最後に皆さんに、今の研究者やこれから研究者を目指す人に向けて一言お願いします。

市橋

僕は学生の頃、その場その場で適当に決めてそれなりにやっていけていたけど、ずっとすごく退屈していました。何かしたいと思いつつ、あまりすべきことも見つからなかったのですが、研究を始めたらすごく退屈がなくなったんで、もし研究を始めるか迷っているなら、すぐに研究を始めてみてください。

藤原

僕は若い頃、研究者になるつもりはなかったんですよ。銀行に行こうかと考えていた時期もあって(笑)。成り行きかもしれないけど、僕には少し外れた道の方が合っていて今まで研究者を続けてこれました。そういう生き方もあるということを伝えたいです。

吉田

学生さんには一人の研究者としての主体性をしっかり持って欲しく思います。言われたからやるのではなく自分がやりたいことをやる。最終的にはその研究者の持つ切り口でどんどん進んでいくと思うので、やりたいようにやればいいんじゃないかなと考えていて、一人の研究者として研究を面白く思って欲しいです。

尾崎

皆さん控えめなので成り行き任せなどの言葉しか出ないのですが、その都度適切な選択をしてこられたっていうことだと思います。恐らく研究を楽しんでいらしたので、頑張ったとか苦労したんだとかそういう気持ちではなく、成り行き任せでうまくいっちゃったみたいに思ってるんじゃないかなと個人的には感じました。

壇上座談会 後半についてはYoutubeでご覧になれます。

おわりに

4.研究館のラボを率いる2名より

小田広樹 室長(細胞・発生・進化研究室

 JT生命誌研究館の設立は1993年、私が大学院生として研究を始めた時期と重なります。その頃生命科学は期待感に満ち溢れていました。それから30年、生命科学は想像をはるかに超えて発展しましたが、その一方で、研究活動の中でワクワク感をもつことが難しくなっているのではないかと危惧します。今回のシンポジウムでは、生きものの仕組みを理解する研究において、本質的に重要な、多様な未開の地が広がっていることを確認したいと思いました。そして、ワクワクしながら、そういう未開の地を切り開く研究者がいることを知ってもらいたいと思いました。  私自身のことで言えば、今も毎日ワクワクしています。研究では論理的思考が求められますが、大きな仕事につながる最初の最初は直感と行動力が大事だと思います。カドヘリンドメインのない“カドヘリン(?)”を見つけた時にその思いを強くしました。生きものの仕組みは人間の想像を超えています。実際に行動を起こし続けて、眼前でふとUnexpectedな発見の芽が認められたときには興奮します。

尾崎克久 室長(昆虫食性進化研究室

 研究対象の生物のゲノムを読んで大量のデータを手に入れて、一気にいろんな事が解るぞ!とワクワクしたのもつかの間、こんなにも解らないことだらけなのかと分厚い壁にぶち当たります。私個人の主観ですが、現状はゲノム配列が読まれたことによって体ができあがるまでについては一気に理解が進むのに対して、体ができあがって生まれた後にどのように【生きている】のかは解らないことだらけです。この問題を解決するため、機械学習を研究に取り入れたり様々な工夫を行っていますが、問題を解決しようと悩みながら挑戦している今が最も楽しい時間ですね。
 壇上座談会では演者の皆さんに思いのまま語っていただきました。3人とも謙虚で、まるで成り行き任せで生きていたらなんとなく今に至ったという雰囲気のお話をされていましたが、きっとその都度適切な判断と必要な努力を沢山積み上げられてきたのだと思います。おそらく、努力を努力と感じないくらいに、問題解決の努力を楽しんでいらしたのではないでしょうか。

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シンポジウム

5/18(土)13:30〜15:45

虫の会(拡張版)第三回 「ピン留め」と「退縮」で作る昆虫の鋭い構造