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研究館より

ラボ日記

2021.06.01

今、クモが熱い

 新型コロナウイルスに対するワクチンの接種が本格化している。接種に使用されているワクチンはファイザー社製とモデルナ社製の2種類、いずれも「mRNA」ワクチンとして分類される。ウイルスの遺伝情報を基に短期の開発を可能とする新式のワクチンで、体内にmRNAとして導入し、からだの細胞にウイルスを構成する蛋白質の一部を合成してもらう仕組みになっている。新型ウイルスの危険性の報告から1年もたたないうちに実用化が実現した。その過程と科学的背景をテレビや新聞、科学者発信の記事、学術論文などである程度知ることができるが、人類の科学を基盤とした活動の重みと、人の多様な努力(とそのための情熱)の尊さを感じずにはいられない。mRNAの安定に関わるキャップ構造の同定、RNAを安定化する方法の開発、RNAを脂質と混ぜて細胞内に導入する方法の開発など、多様な人たちの成果が危機解消への希望をつないでいる。
 ところで今、クモが熱い。私たちのラボが取り組む発生生物学はその熱さのほんの一部で、クモ糸の産業利用を始め、独特の生態行動(造網や社会性)、種多様性、クモ毒などに関連して幅広い学問分野から注目されている。あまり知られていないが、コロニーを形成するある種のクモの社会性はアリや蜂などと比べても面白いらしい。様々な興味に駆り立てられ、次から次へといろいろなクモ種のゲノム配列が報告されている。私たちのラボが関わったオオヒメグモ (Parasteatoda tepidariorum) のゲノム配列は2017年に報告された(詳しくはこちら)が、その後の展開は速く、現在公共のデータベースに登録されているクモ種のゲノム配列は14件 に達している。しかしながら、一般に、クモのゲノムは大きく(10億塩基対以上、ヒトゲノムが約30億塩基対)、反復配列も多いため (ゲノム全体の30−60%)、短い配列のデータを元にゲノムの構成を正確に再現することは難しく、これまでの多くのクモのゲノム配列は多数の不完全な配列断片の集合体であった。それでも今年に入って、新技術の適用により、ゲノムの構成を染色体レベルで再現したゲノム配列が2つのクモ種ナガコガネグモArgiope bruennichi (Sheffer et al. 2021) とジョロウグモTrichonephila antipodiana (Fan et al. 2021) で報告された。画期的な成果である。
 ゲノム配列の精度が上がることで動物種間の比較が格段にしやくすなる。私たちの研究でも、他のクモ種の精度の良いゲノム情報は非常に役立つ。実験で得たオオヒメグモでの発見がオオヒメグモだけに特殊なことなのか、それとももっと広い意味があるのか、調査することを可能にしてくれる。オオヒメグモで新規に同定した遺伝子の起源を理解することを目的に、実際にそのような取り組みを始めている。その取り組みの一環として、他のクモ種の調査を容易にする検索ツールを作り、私たちのデータベースサイトに加えた。クモを通して生物の多様性を理解する試みは続く。
 華やかな昆虫に関心が集まりがちであるが、クモにも面白い深い世界がある。昨年11月に「生物の科学 遺伝」にクモの特集号が出た。クモ研究の最先端に触れることができる。興味のある方は是非ご覧頂きたい。
 人類の未来において、現在私たちが築きつつある知識と技術の基盤がどのように役に立つのか、どう貢献するのかは定かではないが、科学を基盤とする活動が未来を形作ると信じたい。

生物の科学 遺伝 11月 クモ特集号

動物多様化の背景にある細胞システムの進化に興味を持っています。1) 形態形成に重要な役割を果たす細胞間接着構造(アドヘレンスジャンクション)に関わる進化の研究と、2) クモ胚をモデルとした調節的発生メカニズムの研究を行っています。