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研究館より

ラボ日記

2022.11.01

モデル生物と非モデル生物の境目

 10月6日に今年3本目の論文が出ました。その前の2本の論文に比べれば大作で、研究を開始してから7年以上経っています。前奨励研究員の岩崎佐和さんの努力と根気の賜物です。彼女の在任中に論文を完成できなかったのは残念ですが、生きものの多様性を生み出す仕組みの発見としてメッセージ性の高い論文に仕上げられたことは本当に良かったです。詳しくは論文解説をご覧ください。

 この研究の中でこだわってチャレンジしたことは、既存のモデル生物(例えば、ショウジョウバエ)の知識に頼らずにオオヒメグモの初期胚で働く重要な遺伝子を特定することでした。いわゆる非モデル生物の研究の常とう手段は、モデル生物で重要な機能を持つことが示されている遺伝子に対応する遺伝子を、配列を基にクローニング(単離)し、解析することです。しかし、この研究アプローチでは生物進化の過程で配列が大きく変化した遺伝子や新しく生まれた遺伝子は解析の対象とならない。そのような遺伝子が生物多様化の仕組みにおいて非常に重要な役割を持っている可能性があるにもかかわらず?? この問題を少しでも克服したいと、研究の最初からこだわりました。

 そのために岩崎さんが最初にやったことは、初期胚の3つの異なる領域から少数の細胞を吸い取って、それらの細胞群の間で発現量が有意に異なる転写産物をゲノム上の各遺伝子について調べて、統計的指標によって順位付けすることでした。そして、その順位付けに従って上から19個の遺伝子をそれぞれRNA干渉という方法で遺伝子発現を抑制して、それによって現れるクモ胚の表現型を調べました。その結果、からだの軸の形成に影響を及ぼす3つの遺伝子を突き止めることができました。

 本当に幸運なことに、こうやって大変な思いをして突き止めた遺伝子のうちのひとつが、遺伝子重複を経て配列が大きく変化しながら進化してきた遺伝子だったのです。ショウジョウバエや他のモデル生物においてこの遺伝子と直接対応づけられる遺伝子はありません。そのため独自に名前を付けることができました。付けた名前はフチナシ(fuchi nashi)。オオヒメグモの初期胚では表面の細胞が片半球に偏って円盤状の領域を形成しますが(動画、左)、この遺伝子が働かなくなると、片半球に偏り始めた細胞がまた戻ってしまってその円盤状の領域の縁ができません(動画、右)。この表現型から「縁なし」と名付けました。

 体づくりに関わる遺伝子の多くはショウジョウバエの遺伝学研究で名前が付けられました。その先駆的研究者のひとりが1995年にノーベル賞医学生理学賞を受賞したエリック・ヴィーシャウス博士です。大規模な突然変異体のスクリーニングを行いました。3年前に来日した際に私たちの研究室に立ち寄ってくれて()、岩崎さんが進めていた遺伝子スクリーニングの話をしました。そのとき、「なぜもっと多くの遺伝子をスクリーニングしないのか」、と彼から強く言われました。その通りなのですが、その時の人力ではそれが精一杯で、頑張りによって得られる見返りがどの程度かもあまり自信がありませんでした。

 非常に小規模であったにもかかわらず、岩崎さんの行った遺伝子スクリーニングによって目新しい遺伝子を特定できたことは本当によかったです。今回の論文では、フチナシ遺伝子が制御する遺伝子群の特定も行っています。そのような遺伝子の中には、新規の遺伝子タイプが多く含まれています。そこには未開拓な領域が広がっています。

 私たちはオオヒメグモを、あるときはモデル生物と主張し、また別の時には非モデル生物と言って言い訳します。ある生物がモデル生物であることを主張するには何が必要か。私のひとつの基準は、他の生物の知識に頼らずに新たな重要な知識を発見できる実験系を構築できているかにあると考えています。今回の岩崎さんの論文では、オオヒメグモがモデル生物としての基準を満たしていると、人から見てもらえるとうれしいです。


左:野生型の胚
右:フチナシ遺伝子の発現が抑制された胚

動物多様化の背景にある細胞システムの進化に興味を持っています。1) 形態形成に重要な役割を果たす細胞間接着構造(アドヘレンスジャンクション)に関わる進化の研究と、2) クモ胚をモデルとした調節的発生メカニズムの研究を行っています。