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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【私もネコもおいしい魚】

2007.3.15 

中村桂子館長
 先回、水俣の美しい風景の話で終ってしまい、会合の話は次にと書きました。お昼過ぎから夜遅くまで、長時間にわたる会合で、大学の先生やNPOの方、地域の若者など、さまざまな立場の方のお話のそれぞれに生命誌につながるものがたくさんありました。たゞ水俣で漁師をなさっている緒方正人さんの基調講演の中に、皆に通じる基本がすべて入っていたように思いますので、緒方さんの話を中心に紹介します。
 生国、つまり、いのちの故郷としての国を大切にしたいということが基本です。それは、水俣病という悲惨な体験を訴えていくと、それがいつの間にかお金に換算されてしまうことの辛さから生れた気持なのです。生命、そして生命共同体としての故郷が失われることが大きいことなのに、現代社会では、すべてがお金の話にされてしまうことになる苛立たしさから生まれたことです。今私も、日常の中でこの苛立ちを感じています。故郷にはいのちの賑わいが大事であり、それにはネコにもトリにも通じるところで考えなければならないと緒方さんは語ります。「“ネコに小判”と言うでしょう。お金は通用しません。でも、おいしいお魚は私もネコもおいしいと思う。水俣ではお魚好きの人のことを“あいつはネコだ”と言うんです。」実は私もネコです。「生命誌では三十八億年の歴史を背負って生きていると言っているのに、現代社会は記憶喪失状態に陥っている。」なるほど。記憶喪失って面白い指摘だと思いました。
 深く深く考えた結果、大事なのは制度やシステムではないということが見えてきた。生命を基本にしましょうとは、何でも制度で動かそうとする(教育に対する今のやり方がまさにそれです)人たちも口にする言葉です。でも、それとはまったく重さの違う言葉でした。生命を基本にした水俣創生。「社会的な立場の違いや基盤の違いみたいなところを少し、捨ててとは言いませんが、少し脇に置いて、生命存在的な共通の基盤を探していこうということです。」“少し脇に置いて”というところに多くの人が耳を貸して欲しいと思います。


 【中村桂子】


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