中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子がその時思うことを書き込みます。月二回のペースで、1995年5月から更新を続けています。

2017年12月15日

年の終りに次へと続くメッセージを

中村桂子

11月末に熊本市で開かれた「水俣病展2017」に参加しました。水俣病は私の原点と言ってもよいのです。1970年に恩師の江上不二夫先生が始められた生命科学には、生きものに眼を向けない科学技術が起こしてしまった水俣病に学び、生きものの研究によってそのような技術を変えようという思いがありました。ですから以前から関心は持っていましたが、仕事の合間に考えられるようなテーマではありませんから、多くの方の活動を傍から眺めていました。

認定から50年の年に、水俣の漁師さんでこの問題を深く考えていらっしゃる緒方正人さんから、是非来るようにというお誘いの声がかかりました。自分が水俣で考えてきたことと生命誌とが重なるからと。

こうして、「生命誌」と水俣との関わりができました。今年も久しぶりに会いたいと言われて伺い、「生命誌」で考えると、今私が生きているということだけでなく、次の世代またその次の世代と続いていかなければ生きていることにならないということを話しました。今の私たちの生き方は、次の世代を考えているだろうかと問い、まど・みちおさんの詩も紹介しながら。

その後で緒方さんが、まどさんほどではないけれど私も戯歌を作りましたと、次の歌を紹介されました。

「いのちは のちのいのちへ のちのちのいのちへと かけられた願いの はたらきに 生かさるる」

すばらしい!ピタリ重なります。漁に出て手隙きの時に、ポヤーンと景色を眺めていると山々が美しく、時にまんまるの虹が見えることもある。そんな中でこういうことを考えるんですとの話に羨ましくなりました。以前に比べて魚が獲れにくくなっているなど、大変なことが多いことはわかっていても、船の上でポヤーンとする時間はいいなあと思います。

「いのちは のちのいのちへ のちのちのいのちへと かけられた願いの はたらきに 生かさるる」

国を動かすおエライ方達に、毎朝これを唱えてから一日を始めて下さいとお願いしたい気持です。

今年も終りになってしまいました。毎日を怠けて暮らしているつもりはないのですが、これぞということもなく平凡な日があっという間に過ぎました。まあこれでよいのかなと、ちょっと言い訳がましく思っています。

今年もありがとうございました。できましたら、お読み下さった後に「ちょっと一言」書いて下さると励みになります。よろしくお願いいたします。よいお年をお迎え下さい。

みなさんからのご意見生命誌の広場より

「中村桂子館長のちょっと一言」に寄せての感想

投稿日:2017.10.03 / ニックネーム:相模のラクダ

貴館には いつも お世話になっており、最先端の「生命誌」を学ばせていただき、感謝致しております。10/2の 中村館長様の「科学が社会の役に立つこと」を拝読し、感じたことを述べたいと思います。
◆まず、おっしゃる通り、「ゲノム」は 世界の人々、平等に持っているもので、アメリカの有名な「雑誌」の表紙を飾る「時の富豪」の方も、また、「アフリカの奥地」の ユニセフの 救援が必要な「貧困で飢えた子供たち」にも 平等にあるはずのものです。なのに、世界の人類は、平等性にかけ、各地で紛争、内戦、都市でも 大事件が起き、「格差社会」が存在し、平等で 平和な社会とは 言えません。◆日本は、ある近国の、科学の結晶である:ミサイルに 危機感と 恐怖を いだき、困っています。◆今年も「ノーベル賞」の 発表が 始まりましたが、ゲノムは 世界の人 皆の共有の根源であり「 格差社会」を修正し、科学は 本当は、「ノーベルの意思」の様に「世界平和」:社会の役に立つために使ってほしい。と、館長と同じ意見を感じています。貴館の益々のご発展を祈ります。世界が平和であります様に!

語り合いの続きは「生命誌の広場」へ

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